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三十年に一度の「新月」の話

2019.08.08 15:05

初出:2019年5月6日『第28回 文学フリマ東京』

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平成が終わるのに際して、大規模な片付けをしようと一念発起した人も多いかと思いますが、

そうしたムードの後押しもあってか、「こんまりブーム」が再来していると聞きます。



しかしながら私自身は、平成の大片付けブームを二、三年ほど前に迎えてしまったため、

これ以上捨てるものが無いのが実情です。

書籍や服はちょっと溜まってきたから、また選別してもいいかもしれないけれど。



2016年から2017年にかけて私は、ざっと数えて、

三辺の合計が140㎝サイズのダンボール約30個分ほど。

それまでも定期的に片付け欲がやってくることはありましたが、

ここまでの量を捨てたのは、初めてでした。



そしてこの欲が、2017年の年末を境に、ぱたっと消え失せてしまったのでした。

その年の大掃除のやる気の出なかったこと、出なかったこと。

ですがそれが逆に、星が示す「生まれ変わり」に向けた内なる欲求の存在を

より強く実感させてくれたような気がします。



2017年11月30日に私は、「三十年に一度の新月」を迎えました。

占星術用語では「プログレスの新月」と呼ばれているもので、

要は、ダイナミックな切り替わりの時。

ここを境に人は、次の30年のテーマへ移行する、と言われています。

上皇が天皇退位を発表された頃に、この新月を迎えられていますし、

元関ジャニ∞の渋谷すばる君も、やはり新月期にグループを脱退されていたそうです。



プログレスの新月は、人生のテーマが刷新されるタイミング。

それを迎えるにあたって、私が今まで持っていた物を全部捨てたくなってしまったという

その心理の奥底には、結局、ちょっと悲しいけれど、

「今までの自分を捨てたかった」

というのが、どうしてもあったのだと思います。



ダンボール30箱分の、たまっていたゴミを捨て、手紙を捨て、

かつて好きだった本や服を捨て、最終学歴を除く卒業証書を捨て、

ぬいぐるみを手放し、実家のクローゼットを空にしました。



手放したものは、本や服に限りません。

大好きだったアーティストの音楽は心を素通りするようになり、

依存的な人間関係は清算され、

久しぶりに会ったアシタカには全然魅力を感じることが出来ず、

もう過去の男になったことを思い知らされました。

(と、言ったら大学の後輩に「先輩が違う人になった!」と驚愕されました)



バッサバッサと全てを捨てていく私を見ながら、

「そんなに、何もかも捨てなくてもよくない?」

と言う母は少し寂しそうで、胸が痛まないわけではなかった。

それでも、なんだかもう、たくさん、たくさん捨てたくて仕方がなかったのです。



何だか生きづらかったんですよね、地元にいる間。

生い立ちに何かあるわけでも、いじめにあったわけでもないし、友だちにも恵まれた。

ですから、「つらい」なんていうのは、ただの甘えた弱音で、

口にしてはいけないと思っていました。



でも私は、中学までの自分が嫌いだし、

高校時代はストレスで壊れそうだったし、

ずっと自分の姿にもすることにも自信がなくて、

写真にもどう写ればいいか解らなくて、劣等感の塊で、

あちこちで叱られてばかりで、手放しで幸せを感じたことがほとんどなくて、

どこにいても浮いているような気がして、

可愛くなくて、かたくてつまんなくて、みっともなくて、

ダメなヤツだ、何も出来ないヤツだって、

自分で自分を否定する言葉がいつも当たり前のように心の中にあって、

そうやって、ずっとずっと、自分をいじめてきていました。



片付けの波は、まず最初に「物」ではなく、「携帯電話のデータ」を整理していきました。

ふとした弾みに、古い付き合いのデータを丸ごと消してしまったのです。

一年以内にやり取りをした人や、どうしても取り戻したいデータは取り戻せましたが、

登録データが3分の1に減りました。

けれど、そこに後悔や残念な思いは、一つもありませんでした。



そして、実際に「物」を減らす波は、この後にやってきました。

人間関係の清算という、一番やりづらいことが済んでいるわけだから、勢いがついています。

貰い物、買ってもらったもの、そして年賀状や手紙といった、

それらはもともと、後ろ髪を引かれるものたちを、

「古い」「使わない」「場所をとるだけ」

という、「自分の意思と事情」を優先して、捨てていきました。



そうして、もうこれ以上無いくらいに片付け尽くしたその一番最後に、

『使えるし、好き』だったはずのものを手放しました。



それは、「自分で選んで手に入れたのではない物」たち。

つまり、「自分で見つけて好きになったわけではない物」たち。



それを手放して、私は、自分で自分の人生のハンドルを握り直そうと、

そう決めたんだと思います。


 *


プログレスの新月を迎える一年ほど前の夏。

職場のビルの下で、ものすごく大きな赤いイモムシが、

のっしのっしと力強く這っているのを見つけました。

ぎょっとして、一旦のけぞりましたが、

こんなに大きくて、しかも赤い幼虫なんて初めて見たので、

今度はおそるおそる身を乗り出して、その姿をじっと観察してみました。



それから一年後。

私はふとなんとなく、その時のイモムシが気になって、

画像検索で正体を探してみるという、恐ろしい行為に出ました。

検索ワードは、「イモムシ 赤い 大きい」。

よほどの虫好きでなければ、正視に耐えられない光景が、ブラウザ一面に広がりました。



「ぎゃー! うぇー!」と悲鳴を上げながら、

それでも記憶を辿り、ようやく見つけたあのときの幼虫の正体は、

「オオミズアオ」

という大きな緑色の蛾だということが解りました。



オオミズアオの成虫は、幼虫時代のおぞましい姿からは想像もつかない、

優しいエメラルドグリーン色の大きな翅を持つ、

まるでティンカーベルのような、神秘的で美しい姿をしています。



そして、調べて解ったのは、オオミズアオの持つ秘密……

幼虫時の彼らは、通常、力強い緑色をしているのだけれど、

サナギになる直前だけ、体が見事な緋色に染まるのだそう。

つまり私が出会ったあの堂々たる様で歩いていた幼虫は、

「大変容」のための眠りに入る直前だったのです。



梨木香歩の小説「からくりからくさ」の中で、主人公の一人である紀久さんは、

物語の終盤、それまで嫌悪していた大の苦手の「ヤママユガ」に、

偶然とも必然ともいえる再会をし、そしてそれが繭から出て飛び立つまでの

「命がけの変容」に付き合うことになります。


そして、その時に抱いた思いを

同居人の蓉子や与希子宛の手紙の中で、次のように記します。


「生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。
それしか許されず、おそらくまっすぐにそれを望むしか、他に、道はないのです。
だって、生まれたときから、すべてこの変容に向けて体内の全てがプログラミングされているのだもの。
幼虫の姿ではもう生きていけない。
追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。


変態を遂げた、大きなヤママユは、妖しいぐらいに美しく、この世のものとも思えないぐらいに優雅でした。
本当に、あんなきれいなもの、私、見たことなかった。
見たこと、なかった……」

(梨木香歩「からくりからくさ」新潮文庫)



奇しくも、私が出会ったオオミズアオも「ヤママユガ科」に属します。


私は今でも何となく思うんです。

あの赤い幼虫は、神様の御使いで、私にこう言ってたんじゃないか……


「私は今から、この体を脱ぎ捨てて、羽ばたいてゆく。さあ、おまえもだ。」


と。


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最後の文学フリマで出した「星エッセイ本」より。

マニアックな視点で書いた方は、別館に掲載していますが、