万能の人8-故郷カムバック聖アンナと聖母子
2019.08.04 12:22
チェーザレはその後、かなり苦戦しながら1501年4月に、ロマーニャ地方一帯を制圧した。ここはもともと教皇領である。父アレクサンデル6世は、息子をロマーニャ公爵に任じた。この地方はローマからイタリアを南北に結ぶエミーリャ街道の要衝であり、すぐ北にボローニャ、南にフィレンツェがある。
ボローニャはルイ12世に使者を送り、兵士や馬を軍事支援することで和睦した。フィレンツェには、領内通行の自由を要請したが、フィレンツェは拒否。そこでチェーザレは軍をフィレンツェに向けた。あわてふためいたフィレンツェは、フランス仲介のもとチェーザレを高給を出して傭兵隊長にして決着した。
1500年3月、ダ・ヴィンチはそのフィレンツェに帰還した。彼はここでは無名、師のリッピに、修道院の絵の仕事を譲ってくれといい、人のよい師匠は承諾した。ダ・ヴィンチの描いた下絵は、聖母と祖母アンナ、キリストが複雑に絡み合っている絵で、それが公開されるや大評判をとった。
1501年、ミケランジェロもフィレンツェに帰還した。彼もダ・ヴィンチのこの下絵を見て自分でデッサンを残している。この影響は、その後「ドーニの聖母子」でキリストを通じて結びつく絵をつくることになる。しかしダ・ヴィンチのほうの絵はここでは完成しなかった。そして、侵略に怯えるフィレンツェは、ミケランジェロにダヴィデ像を依頼する。
下左はダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子(下絵)」右はミケランジェロの「聖家族」