笑っても泣いても
脳出血を起こした夕暮れ、私はリビングで一人でした。
左半身だけに異変を感じた瞬間、「やっちゃった」と思いました。
自分で119に電話をして
救急であること
左半身がおかしいので脳梗塞の可能性があるのではないかということ
名前、年齢、住所、家にいるけれど起き上がれず玄関の鍵を開けられないこと
あやしい呂律でそれらを伝えて救急車を待ちました。
待つ間に仕事中の夫にも電話で救急車を呼んだことを伝え。
ほどなくして、偶然鍵が開いていたリビングの窓から到着した救急隊員の方が入ってきて救急病院に運ばれました。そこからの記憶は曖昧です。部分的に覚えていることといえば…
ICUでベッドサイドに立つ両親にピースをして見せ
何本かの管に繋がれた自分に気付くと「珍しい体験だ!写メをとる!」と夫にスマホをとってもらい
SCUで落ち着いたころに、夫からだったかな?脳出血で今後の出血量によっては手術が必要になること・ひとまず今の段階では命には別条がないことを聞き。
誰かに後遺症について聞いた記憶はありません。
それでも動かない左半身にも気付いていたし、それが簡単に元に戻るものではないことも肌で感じていました。
感じていても、まったく泣かなかったんですよね、私。
ただただ「あぁ、死ななかった!生きてる!でかした!」そんな達成感を感じていたように思います。
救急病院からリハビリテーション病院に転院しても、私の気分に大きな変化はありませんでした。
そんな、大きな人生の分岐点にも明るい私は、周りの人からはとても奇異にみえたかもしれません。中には病識がないのではと疑うスタッフもいたかもしれません。当時のサマリーには「相当無理をしている・いつかパンクする」というようなことが書かれていたと後にケアマネさんから聞くことになります。
ケアマネさんが直接私にそう言ったということは、私はパンクせずに今まで過ごしてきたということです。
もちろん、病室のベッドの上で深夜悔し涙を流したことくらいあります。
でも、病気をしていなくても悔し涙くらい流してました。
死んでしまった方が家族は楽だっただろうとも思いました。
それでも私は生きている今、死にたくありません。
泣いて身体が動くなら、いくらでも泣きましょう。
認めなければ私の後遺症が存在しないことになるならば、いくらでも否定し続けましょう。
でも、泣いても笑っても私の左半身は動かず、認めなくても障害は存在します。
そしてなにより、動かなくても太っていても美人じゃなくてもくせ毛でも、理屈っぽくても能天気でも。私は私が好きなんです。
私は私を好きでいたいんです。
泣いてる自分より笑ってる自分が
生気のない自分の瞳より何かを企んでる時の力の宿った瞳が
怒ってる自分より思いやりのある自分が
好きだなぁ。
好きな自分になりたいなぁ。
うん、なりたい自分になろう。
ゆっくりでいいから、なりたい自分に近づいていこう。
弱くてもいい。
泣いてもいい。
怒っても愚痴ってもいいじゃない。
ただ、ゆっくりと、なりたい自分を目指せば。
それだけで人生は上出来。