命のリレー
スタッフの中で唯一、わたくし藤田のクローン人間がいます。
それが Myonco です。
もちろん、彼女に在って私に無いモノというのは たくさんありますが、私の知識の多くを彼女に伝えております。
これで もし私に何かあっても安心です。
そして家内には今日 得た知識は今日中に話をするようにしています。
テレビゲームのようにセーブ(次回始めるときにスイッチを切った時点から再開することができる記録)ができない私たちの人生において、仮に生命保険をかけておいても主の頭の中に在る知恵や子供が二十歳になってから伝えようと温めておいた社会スキルは残念ながら保存されません。
生命保険は たかが数千万。
しかし、父親の頭の中にある知恵はそんなレベルではありません。
本当ですよ。
こうして私たちは子孫繁栄のみならず、情報の伝達という作業においても人から人へ種と価値を保存する行為が求められています。
一日一生という言葉があります。
私の高校時代の後輩である小松憲太は当時から言っていました。
「今日が人生最後の日だと思ってやりましょう⚽」と。
彼はF高校に入学できる頭脳がありながら、徒歩5分のサッカー強豪校に入学し、J2時代の山雅で活躍をし、今は東京都私大塩尻の教員兼コーチをしています。
「できること」ではなく「やりたいこと」を選んだ数少ない賢者です。
一日一生。
今日(今月)が人生最後の日だとしても、預金を使い切るなどというバカげたことをせず、何ら変わらない日常を過ごし、それに悔いを感じない日々を過ごす。
難しいですか?
「難しくない」と答えた人はきっと今幸せを感じている人でしょうね。
私たちは今までに数えきれないほど多くの名言を耳にしてきました。
しかし、それを毎日大切に唱え、実践し、日常に活かしている人がどれだけ居るでしょうか?
もし、ただ読むだけ、ただ聞くだけ、であれば哲学は何も意味を成しません。
(そういった意味で)何も変わろうとしないのに自己啓発本を読み、自己啓発セミナーに参加する人、ちょっと苦手です。(ごめん)
そして、実行できる人とそうではない人とは何が違うのでしょうか?
IQでしょうか?
EQでしょうか?
EQも関りがあるでしょうが、それよりも子供の頃からの たった一つの習慣に由来していると私は感じています。
皆さんは「① 数あるチャンスを無駄にする人」と「② 数少ないチャンスを掴む人」のどちらでしょうか?
「③ 数多くのチャンスを掴む人」もいるでしょう。
チャンスの数を増やすことも能力、そして掴むことも能力です。
そして、数が増えても全てに新鮮な目つきで感謝を感じながらチャンスを美味しく頂きます。
これは単に成功哲学を語っているわけではなく、日常に転がる幸せに気づく能力を高めることに直結するお話であるため このような場面で御紹介しているつもりです。
皆さん、または 皆さんのお子様は お茶碗にどれだけ多くのご飯を食べ残していますか?
皆さんは どれだけ多くのお金を親につぎ込んでもらいながら、その事実に有難味を感じずに生きていますか?
数あるチャンスも、数少ないチャンスも、大切なのはチャンスの数ではなく、それ自体にどのような気持ちで挑むか、迎え撃つかということで全ては決まります。
成功したい人も、幸せになりたい人も、その大きな秘訣として、有難味を感じることや感謝をすることが必要です。
いつ終わりが来ても悔いのない人生って、いつになったらそう思える日が来ますか?
こういうことを教育機関では話題にしません。
そして外部で行うと それまたお金が発生する集団になりかねません。
幸せになるためにお金が必要だと思っている人は2パターンあります。
1つ目は 一度も大金を手にしたことがなく大金を夢見ている人。
2つ目は 心の教育を受けずに大金を手にしてしまった人や、他人(親の利権)の手柄で大金を手にしてしまった人が「もっと在ったら もっと幸せになるはず」と考える、または「この何不自由ない生活(幸せ)を維持できているのは紛れもなく高収入のおかげだ」と勘違いするかの2パターンです。
幸い私は上記の2パターンのどちらも該当せず、幸せはいつもココに在るということを感じて生活をすることができています。
これもまた、私たちの生きがいとなるお仕事を社会の皆様にセッティングして頂いたからに他なりません。
偉そうな発言をするつもりはなく、共に元気ある社会を目指したい一心です。
誰もよりも幸せを感じていた彼は、誰よりも感謝する気持ちが高かったという勘違いからきています。
そう、幸せの正体は勘違いなのです。
皆さんは自分の頭の中の情報を保存してくれる者に出会ったことはありますか?
そういう種の保存が人間の中間地点での快楽で、情報の保存が人間の最後の快楽なのです。
中間も最後も気持ちいって良いですよね (笑)
いや、ちょっとふざけないと、真面目過ぎでしょ。