シューベルト作曲『弦楽五重奏曲』
不運の天才作曲家が
最後に辿りついた境地とは
101時限目◎音楽
堀間ロクなな
ひとはだれしもわが身の不運を嘆くものだが、われわれ凡人はともかく、神から寵愛を授かったはずの天才作曲家にも不運があるとするなら、さしずめフランツ・シューベルトこそ最たる者に違いない。その理由は大きくふたつある。
理由のひとつ。シューベルトは1797年ウィーンに生まれ、1828年同地で永眠した。と言うことは、まだ31歳でしかなかった。薄命の天才の代名詞のようなモーツァルトでさえ35歳まで生きたのだから、それより4年も短い生涯はいかにも惜しまれよう。もっとも、その死因がいささか同情を引きにくくしているのかもしれない。一説では、悪友に誘われての女遊びがたたって梅毒を患い、当時の水銀療法を施されて頭髪が抜け落ちカツラをかぶるはめになったあげく、自己免疫力も著しく低下したのだろう、最後は療養先で腸チフスに感染してあっけなく事切れたという。晩年の手紙に、こんな痛切な記述が残されている。
「ひとことで言うと、僕は自分が世界でもっとも不幸でみじめな人間だと感じているのです。健康がもう二度と回復しようとせず、そのことに絶望するあまり、物事をいつも良いほうではなく悪いほうにとってしまう人間のことを考えてみてください」(堀朋平訳)
もうひとつの不運の理由。かれの前には、同じウィーンの地にあって27歳年上のベートーヴェンが立ちはだかっていたことだ。シューベルトがたとえば交響曲の第1番を書いた時点で、ベートーヴェンはすでに第5番『運命』、第6番『田園』までを発表していた。あとを追うシューベルトは、先達を心から敬愛しながらも、その仰ぎ見る巨峰を乗り越えないかぎり独自の存在理由を手に入れられないという宿命にあった。有名な『未完成』交響曲のほかにも、少なからぬ作品が未完で放置されたのはこうした事情によるものだ。やはり本人が残した言葉。
「僕もひそかに、自分がなにがしかの人物になれると望んではいるのですが、しかしベートーヴェンのあとでまだ何かできる人などいるのでしょうか?」
このように、若くして死を見つめざるをえない人生と、世にも偉大なベートーヴェンとの対決という、一方だけでも凡人ならさっさとギブアップしてしまうはずの二重の不運のもとにあって、シューベルトはある資料によると、交響曲を含む管弦楽が26、室内楽が41、ピアノ独奏曲と二重奏曲が90、オペラ・オペレッタが14、教会音楽と合唱曲が75、そして歌曲が634と、トータルで実に882の作品をつくったとされている(数え方次第では1000曲を上回るとも)。まったくもって想像を絶するエネルギーと言うほかない。しかも、そこには未完・中絶の作はあっても、およそ手抜きの駄作は見当たらないのだ。
もちろん、実際耳にしたのはそれらの一部でしかないけれど、わたしがとくに惹かれるのはシューベルトの室内楽で、なかでも偏愛しているのはただひとつの『弦楽五重奏曲』だ。ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2という他にあまり例のない編成により、演奏時間は全4楽章で計1時間に迫るという大規模なこの作品が完成したのは死の直前のこと、かれが最後に辿りついた境地だろう。
そこでは、あらゆる感情がせめぎあっているかのようだ。シューベルトならではの美しく浮遊するメロディに誘われて夢見心地をさまようと、その心地よさはいつか肉欲にまで高まってくる。ざわざわと血潮が疼きだすのを、けたたましい哄笑が断ち切って、気づけば足元には死の淵が口を空けているのにおののく。それら人間の愚かしく愛おしい感情のすべてを包み込みながら、フィナーレで奏でられるのは慰藉なのか諦観なのか……。ここにはベートーヴェンのような「闘争から勝利へ」「人類みな友だち」といった素朴なプログラムはない。生と死をめぐるとりとめのない対話の世界がえんえんと広がっているのだ、そう、われわれの人生のように。
シューベルトはついに二重の不運を克服したのである。