灯りterrace への想い
とても長くなりますが
お付き合いいただけたら嬉しいです
想いの真ん中には
いつも母の存在があります
原動力といってもいいのかもしれないです
51歳
私の記憶上ではここで
彼女の姿は止まったままですが
生きていれば60代の
真ん中を過ぎたあたり
3人兄弟の末っ子として育った私は
いつも守られた、とても頼りない存在で
今、こうしてヨガやアーユルヴェーダを
学ぶことで
当時は見えなかったり
気付けなかったあれこれを
どの年代の女性にも彼女を重ね合わせて
自分の後悔していること
もしもあの時が今なら
こうできたかもしれないこと…
カルマを浄化するような思いで
何か出来ることはないかと
模索しています
生前の母は家族の為に力を尽くすことが
生きがいのような人でした
『趣味、家族』といった感じで
いま生きていたとしても
きっと「いいよ、いいよ」と言って
おそらく私のヨガのクラスには
来ないでしょう
でも自宅で愛犬に囲まれて
ふざけながらであれば
試してくれたかもしれません
ふと思うのです
3人の子育てをしながら
だれに悩みを打ち明けていたのだろう?
あまり人に相談事をする
という人ではありませんでしたが
そうしたいと思ったことは
なかったのだろうか
きっと大変なこともあったでしょう
これは私の考えにすぎませんが
家族に尽くすあまり
深い休息という意味合いでの
自分へのケアが充分でなかったことが
病気を招いてしまった
1つかもしれません
そして、それを加速させたのは
無知であった私自身にも
責任があるのではないかと
自分を責める気持ちへ変わりました
不安定な心に振り回されずに
コントロールをする
ということを知らなかった
20代は本当に苦しいなぁ
と思うことのほうが多かった気がします
いくら後悔しても亡くなった人は戻らない
今、出来ることは目の前の人に
寄り添うこと 幸せを願うこと
格好の良さやエクササイズとしてではなく
ヨガの持つ内側の流れを整えることに
重きを置きたいのは
こう言った背景があるからだと思います
一見地味に見えることには
素晴らしさが詰まっています
例えば1分だけでも目を閉じて
呼吸を整えてみる
そのあと目を開けると
内側がしんと静まり返って
世界がキラキラして見えたりする
これは何度やっても心踊ります
私を成り立たせる
色んな出来事があるのとと同じように
皆さんにも大切にしたいこと
譲れないこと
人に話すかどうかは別として
物語があると思います
昔から
「幸せに暮らしましたとさ
めでたし、めでたし。」のその後の
物語に想いを馳せるのが
好きな子供で
世界のどこかでお姫様や王子様は
どんな暮らしをしているんだろう
私の中で物語はずっと続いていて
見えないからより
知りたかったのかもしれません
言葉の力と想像する気持ちは
私にとって とても重要でした
声高らかには伝えないけれど
人知れず抱えている気持ちって
みんなあるんじゃないかなと
思っています
もちろん私は医療従事者ではないので
お伝えできるのは未病段階での
セルフケアとしてのヨガで
私のように大切な人と
なにかしらの別れを経験した
心のケアの為だったり
ヨガを始める目的は人それぞれ違います
こちらからはずかずかと
色々なことはお伺いしませんが
お話ししたいなぁという
タイミングがあれば
その時は遠慮なく仰ってください
私が面白いなと思っているのは
練習は続けると
必ず何かしらの形で変化が
でてくるということ
それがどんな変化であるか?
というのはそれぞれなので
私にはわかりません
体験する皆さんそれぞれの感想を
実践してみてよかったら
どんな感じか教えてほしいです
肩書を持たずに他愛ない話をしたり
気持ちがいいねーとか美味しいねーと
たとえ悩みを直接言わずとも
心に灯りが照らされるような
お互いに笑ったりできる場に
なればいいなと願っています
小さな小さなヨガ教室ですが
どうぞよろしくお願い致します