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俳句の楽しみ

2023.12.25 05:25

残暑お見舞い申し上げます!!


俳句は挨拶? 

俳句が連歌の発句から生まれたと考えるとき 挨拶としての要素は重要でした。

しかし 発句の独立とともに挨拶句としての 要素は不要となります。

そのためには 発句を脇句からから独立させる役割としての切れが 大事となります。

挨拶を超えた 俳句の詩的表現はどのようになしうるのでしょうか?

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6351328 

【俳句における「切れ」の詩的創造   =「新しみ」】をご参照ください。


かといって挨拶がないがしろにされてはなりません。相手へのペーシングがコミュニケーションの第一歩となるからです。


https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6723837  【挨拶】


相手の心に届く挨拶は? 【ただ眺める】ことから始まるのではないでしょうか?

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6706777  【ただ「眺める」ということ】


そして響きあい、共鳴できる何かに出会う

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6408683  【自然と響き合う】


それを表現する

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6427876  

【表現することで孤独を超える】


これが俳句を詠む喜びと言えるのではないでしょうか?

山茶花の八重に幸ふ雲居かな  五島高資ー 場所: 宇都宮城址公園

コスモスや峡に漲る沖つ国 高資

常磐木に紅葉且つ散る甍かな  五島高資

止みかけの雨に押し照る紅葉かな  五島高資ー 場所: Nagatoro 長瀞

橐吾咲いて照り合ふ群れのあはひかな  五島高資ー 場所: 雷電神社

小春日の水面の空へ日の矢かな  高資ー 場所: 妻沼聖天山(歓喜院聖天堂)

http://www.atacknet.co.jp/revibn31.html   より

葆光

深みを与えてくれる啓示

 俳句のことを“世界で最も短く、最も美しい詩の形である”と評したのは確かジョン・レノンだが、五七五のたった17文字であらわされる俳句には、一切の虚飾を排除する潔さが必要であるといえる。クドクドとした説明や言い訳が許される余地はないのである。彼のつくった歌(詩)とくに“イマジン”の中には、俳句の美しさに影響された要素が強く感じられるらしい。

 さて、今回は一冊の句集を紹介させていただく。同じ職場に身をおく哲学の教授の手になるもので、内輪の人間が著したものを取り上げるのは元来反則かとも思うが、何とぞお許し願いたい。スポーツ・競技という行為の場に深みを与えてくれる啓示がたくさん含まれているように感じるのである。

本当の姿を

 題名「葆光」は「ほうこう」と読む。「暗く柔らかな光」という意味なのだそうだ。「『荘子』斉物論篇にある言葉」とのことだが、詳細について紙面の関係上省くことにする(本当は私の無教養が理由。言い訳です)。

 ただ、想像するに「暗く柔らかな光」の下では“見よう”として見ないことにはあらゆるものが見えないという世界のことか。あるいは、見え難くなっているのは、暗さに“包まれている”せいであると考えてもよいのかもしれない。だからこそ、より丁寧に心をこめて対象を見つめ、本当の姿を見極めようとする意図がこの題名に込められているのではないだろうか。加えてこの題名には、穏やかで柔らかくはあるけれど、毅然とした姿勢を貫いている作者の人柄をもうまく反映しているように思うのである。

 作者が俳句をつくるきっかけとなったのは「二十一世紀を担う100俳人(『俳句α増刊号』2000)」の一人、五島高資という才人の存在が大きいとのことである。時々、時間を忘れて二人で俳句談義をしている姿を見かけるのだが、私にとっては知の巨人同士の会話を間近に見てミーハー心が満たされる瞬間だ。

俳句とは“命”を詠むもの

 横で聞き耳を立てていても難しくて実はよくわからないところのほうが多いが、多少なりとも理解できたこと、考察したことをまとめてみると次のようになる。

 まず、俳句とは“命”を詠むものである。では命とは何か。ここでいう命とは“場”を共有すること、意思の疎通をはかろうとする気持ちのことであると考える。したがって俳句の世界では、人や動植物だけでなく、物質や自然現象あるいは遠い過去や未来に至るまで、森羅万象に命を吹き込むことができることになる。逆に、たとえ生きていても孤立無援の、他者と“場”を共有しようとしない者には命があるとは言えない、とも考えることができる。俳句を詠むということは、だから“命を見つめる”ということになるのだと思う。

 等々と考えていたところ、ふと、この感触はスポーツや運動競技の場の味わいと似ていることに気がついた。競技の場とは、命と命の交感(交歓か)の場であると言えないだろうか。真剣勝負の場であればなおのこと(たとえ身体の接触はなくとも)命のやりとりがなされていると感じる人は多いのではないかと思うがどうだろう。

 本書は、九つの章立てで約360の句からなる。分際をわきまえず各章から一句ずつ選んでみた。

群青を一息に塗り込める秋

雪止みて天目に月刺さりけり

墓洗うおまえは誰と問われけり

逃げ水の逃げるあたりに生まれけり

初紅葉ひそかに見つけられるまで

存在の柔らかき重き春歩む

野に集(すだ)く虫に並べる枕かな

舞いながら舞を脱けゆく秋の蝶

齧られし柱に消えるうさぎかな

(本文では「齧」に「口偏」が付く)

 たった17文字の裏側に秘められた何かに感動するのと同じように、一瞬のパフォーマンスに込められた命を大切に共有したいと思うのである。

(板井美浩・自治医科大学医学部保健体育研究室准教授) 

寄り添ひて日を集めたる冬桜  五島高資ー 場所: 妻沼聖天山(歓喜院聖天堂)

分かれつつ咲き添う金剛桜かな  高資

散り合うて金胎不二の桜かな  高資

ひさかたの雲へ沸き立つ桜かな  高資

散り合うて金剛桜の黄葉かな  五島高資ー 場所: 宇都宮城址公園


エクササイズの紹介

① https://ameblo.jp/amenooshiwo/entry-12538226838.html 五島高資 句集(英訳付)から好きな句を3句選んで自己紹介。

  テーマをみんなで決め、マッピングの手法で思いついた言葉をどんどん書き出し、そこから作品を作っていきます。

https://www.pinterest.ca/ovtfam55/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97/    参照ください

③ 今ここで咲く・メンバーの花束・個人セッション 

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2979153

④ 句会ワークショップ・①名前・ワークショップ、コース、セミナー

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/3609280

⑤ ロータス瞑想

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2990266