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「日曜小説」 マンホールの中で 第二章 5

2019.08.10 22:00

「日曜小説」 マンホールの中で

第二章 5

 次郎吉に「小さいころ貧乏だったと思うかい」と聞かれて、善之助はその答えに困ってしまった。

 もちろん、善之助自身、目が見えないとうことがある。つまり、視覚的な状況によって次郎吉を判断することができない。声の風では四〇代から五〇代であろうが、しかし、このようなマンホールの中で生活をしている人なのであるから、体調が悪かったり、あるいは声だけが老けて聞こえるようなこともあるのかもしれない。そのように考えれば、声だけで次郎吉の年齢を判断することはできないのである。

年齢がわからなければ、当然に「子供のころ」というのがいつ頃のことを言うのかわからない。たとえば現在八十代の人の幼少の頃ならば、戦争直後であるから、当然に何もないのが普通であり、様々な物品がないことをもって幼少のころ貧乏であったかどうかなどということを決めることはできない。そもそも、食料品も配給であった時代である。進駐軍にチョコレートをもらって喜んでいた人々である。しかし、現在三十代であるとすれば、チョコレートをたくさん食べることができるなどということはある意味当然であり、そのことが裕福であるかどうかを決めるような話にはならないのである。これは極端な例であるにしても、例えば、現在の五十代が若いころは携帯電話がなかったが三十代ならば学生時代に携帯電話があっても不思議ではない。このように考えれば、物品や話の内容で判断することはできないのである。

一方、その内容を別なことで判断するためには、どうしても視覚的な要素が必要になってくる。身なりがよいとか、あるいは姿勢がよいなどということも十分に必要なのである。しかし、そのような情報を全くなし、それも環境が普通とは異なる。こんなところで相手を舐務することなどはできるはずがないではないか。マンホールの下で、まあ、あまり下水は流れていないにしてもそれでも異臭はするし、また、たまにネズミのようなものが走っている音がする。そのうえ、マンホールの上では何かが爆発しているというところだ。真っ暗な中で、目も見えない善之助が、目の前にいる人の過去などはわかるはずがない。

「いや、そもそも普通の環境でだって、なかなかわかるようなものではない。それもこのような場所で……」

「爺さん、普通ってなんだよ」

「普通……」

「世の中に普通なんであるのか」

 善之助は、言葉を止めた。いや、驚いたというほかない。そういえば「普通」とは一体何なのか。「常識」とは一体何なのか。実は誰にもそのはっきりしたことはわからない。しかし、何故か多くの人が「普通」を目指し、そして「常識」に縛られているのである。いや「常識」に縛られていながら、祖の常識から抜け出そうとしているのではないか。

「普通なんてないんだよ。そう思わないか、爺さん」

 年下であろう次郎吉に郷されるように言われた。「普通」の善之助であるならば、年下のそれも初対面の誰だかわからない人にこのように言われたら、必ず怒っていたに違いない。しかし、今日は違う。そもそも次郎吉との間には何かこのマンホールの下に閉じ込められているという共通の環境があり、その意味では二人しかいない「仲間」なのである。

いや本当に「仲間」なのか。

本当は次郎吉は、自分を利用しようとしているのかもしれない。もしかしたら、今回のことで自分の家に泥棒に入るのかもしれない。そもそも、泥棒ならば救助にきて正体が明かされてしまえば、困るのではないか。そう、逮捕されてしまう。その逮捕されてしまうような状況なのに、なぜこの男は目の前にいて全く動じないのであろうか。いや、そもそも自分の職業が泥棒で、このようなマンホールの中に暮らしているなどということ自体が「普通」ではないのだ。もしかしたら誰かが入ってきたら、自分のことを人質にして逃げるかもしれない。いや、目が見えなくて足手纏いになれば、そのまま自分自身は殺されてしまうかもしれない。

 しかし、今、この状態自体が普通ではないのだ。普通ではないから次郎吉がいて、普段では言わない泥棒の話をしたのかもしれない。まてよ……、

……ポチャン……

 マンホールの穴から水滴が一滴落ちてきた。マンホールンの上では、ビニールシートが敷かれ、その上に何人もの負傷者が横になっていた。普通ならばそのビニールシートで水滴などは遮られているが、それでもほんの少しマンホールの穴までたどり着いて、一滴形を成して落ちてきたのであろう。それも、ちょうど水の溜まっているところに落ちなければ、音はしないのだ。

いずれにせよ、その一滴の水滴で善之助は我に返った。

どれくらい沈黙していたのであろうか。考え込んだ善之助に、何も声をかけずに次郎吉はただ黙って待っていたのであろうか。

「次郎吉さん、いるのかい」

「ああ、いるよ」

 善之助はなぜか安堵した。つい今しがた水滴が落ちてくるまで、善之助は次郎吉を疑い、自分を人質にするのではないかなど、ずっとそのことを考えていた。しかし、今、この状況の中で一人になることの方が不安なのかもしれない。自分を害する意思がある人であっても、逆に、ここに一人でいるよりもはるかに良いということを感じたのである。不思議なものだ。一度考え始めると、どんどんと疑心暗鬼になってしまい、そして、自分にとって悪い方に考えてしまう。しかし、実際はそんなことはない。心の中では誰が「仲間」を求めているそんなものなのかもしれない。

「じいさん、しばらく黙っていたから、死んじまったかと思ったよ」

「そんなはずはないじゃないか」

「わからんよ。何しろお互い持病があるとかそういうことも知らないんだ。こんなマンホールの中に突然落ちてきて、怪我もしてることだし、いつおかしくなってもお互いおかしくはないんだよ」

 確かにそうだ。次郎吉も善之助も、お互い、ここであって話したことしか知らない。そして、その話したことですら「本当のこと」なのかどうかがわからないのである。そもそも「本当のこと」とは一体何なのだ。自分の認識では本当のことかもしれないが、実は他の人の解釈では全く違うものなのかもしれない。そして違う人の解釈が「普通」で「常識」であるかもしれないのだ。

「確かに次郎吉さんの言う通りだな」

「だろ」

「いや、さっき普通とは何かと聞かれて考えていたんだ」

「そんな会話だったな。いや爺さんが死んじまったら、ただでさえ泥棒なのに、殺人まで疑われたら嫌だから、なんとかして逃げなきゃと思っていたんだ」

 次郎吉は半分笑いながら冗談めかして言った。しかし、先ほど同じことを考えていた善之助には、笑えるものではなかった。いや、自分が少し考え事をしているだけで、死んだと思われて、そのまま逃げるとか助けないというように立場を変えた同じことを考えていたのだ。

「本当だね、次郎吉さんは泥棒だから、助けが来たら捕まってしまうのではないか」

「それは普通の考えだよ」

「普通……」

「ああ、まあ、普通ということを聞いていたからあえて普通という言葉を使わなければ泥棒稼業を知らない人々の考え、といった方がわかりやすいかもしれないね」

 次郎吉は、「普通」という単語の、次郎吉なりの答えを言った。そう、「泥棒という家業を知らない人々」というのが「普通」だ。ある特殊状況において、または特殊な仕事において、そうではない人が、その家業のことなどを知らずに一般の人々の生活の範囲の中で想像をめぐらして、その範囲の中で考えることが「普通」なのであろう。しかし、本来、経験もなく当事者でもない人は、その内容に関して「本当のこと」は違うということになる。つまり「普通」と「本当のこと」は違うということが、次郎吉の置ける「普通」の定義なのである。

「泥棒稼業を知らない人の考えなのか。」

「ああ、そりゃそうだろう。別に逃げる必要なんかないんだ」

「どうして」

「指名手配されているなら状況は違うが、通常泥棒稼業というのは、人様のものを盗んで生活をしている。しかし、それが続けられるということは、当然に、子の次郎吉さまが泥棒であるということが一般にばれていないということを意味している。」

「どういうことだ」

「爺さん、わかりが悪いなあ。泥棒ってのは、例えばじいさんの家から大事なものがなくなった時に初めて盗まれたってわかるんだ」

「ああそうだ」

「ということは「何かがない』という異常事態が発生して盗まれたと思うんだろ」

「そうだなあ、まあ、盗まれたことがないからわからないが」

「爺さんは泥棒の被害にあったことがないのか。まあ、それはそれでいいが。まあ、つまりだ、なくなったということで泥棒を認識するわけで、誰か盗んでいる人を見たとか、指名手配犯の顔写真を見たとか、そういったものではないはずだろ」

「ああ、そうか」

 泥棒というのは、確かに、その泥棒本人の顔は逮捕されるまでわからない。警察の捜査なども「盗まれた物」を追うのであって、殺人鬼のように「人」を追うのではないのだ。

「だから、爺さん。もし、爺さんが今目が見えていたとしても、俺の顔を見て、泥棒とはわからないはずだよ。それは救助に来た警察や消防も同じ」

「そうなるな」

「ここに、俺の盗んだ、それも探しているものがあれば、話は別だが、何も持っていない俺を見つけても、爺さんと一緒に落ちた人としか思わないはずだ。だから爺さんがこの人が泥棒次郎吉ですといわなければ、俺は泥棒としては認識されないんだよ」

 確かのそのとおりなのだ。

泥棒だと名乗られたから、勝手にさまざまなことを思いをめぐらせてしまったが、実際に、その人が泥棒かどうかなどはわかりはしない。そのように考えればよいのだ。「泥棒」という単語から、勝手にイメージして、勝手に解釈をしてしまっていた。それが「泥棒稼業を知らない普通の人」の考えであるというのである。

では「普通」とは一体何なのであろうか。

善之助は再度考えこんでてしまった。