ダイニックアストロパーク天究館(3)
中村要氏の光学ノート
ダイニックアストロパーク天究館を訪れた最大の目的は、中村要氏の光学ノートを見せていただくことでした。
「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田諄著、ウインかもがわ)によると、反射鏡の製作に関して中村要氏が残した資料類は、中村氏亡き後、実質的に後継者となった木辺成麿氏に託されました。その後、1990年に木辺氏が亡くなると、資料を引き継いだ村山定男氏(ダイニックアストロパーク天究館顧問)が、木辺氏の資料・研磨道具・ガラス材・中村要氏の光学ノートや研磨機を、ダイニックアストロパーク天究館に移されたそうです。
突然の訪問でしたが、ボランティアの方にお願いし、中村要氏の光学ノートを見せていただくことができました。ノートは全部で11冊ありました。一冊一冊丁寧に硫酸紙のカバーが掛けられていました。どなたの筆跡(木辺氏?)かは分かりませんが、「中村要氏ノート11冊最重要」の紙片がありました。
中村要氏がペンを走らせていたことを想像し、心を震わせながらノートをめくると、中村要氏の文字があらわれました。時間の制約があったので、全てのページを見ることは出来ませんでした。ボランティアの方から許可をいただいて、できる限り写真を撮りました。
中村要氏のノート、木辺成麿氏のノートや鏡面等。価値を知る者が、次の世代に伝えていく責任が強くあると感じて、感動と共に、ダイニックアストロパーク天究館を後にしました。
(写真1枚目:「List of mirrors」made by NK」表紙、2枚目:NKM44(私が所有しているミラーの記録のページ、3枚目:記念すべきNKM1,2の記録、4枚目:初期の中村鏡に彫られたマークの説明、5枚目:鏡面研磨の師と仰いだG.カルバー[1835-1927]鏡を検査し、鏡面研磨が素人離れした時期であるNKM16鏡の記録、6枚目:ノートの記録に用いた記号の説明、7枚目:1931年から用いられたマークの説明、8枚目:鏡面研磨に関するメモ、9枚目:左エリソン氏からの手紙、右カルバー氏への手紙、共に記録として残したもの?、10枚目:木辺氏の凹面鏡製作ノート、中村氏のノートは右隅、11枚目:木辺氏の1962年10月の凹面鏡製作ノート)
参考文献:中村要と反射望遠鏡,冨田良雄・久保田諄,ウインかもがわ