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〜ヒーリングサロン〜ほしのやしろ

シンプルに今の人生を生きていく

2019.08.10 12:12

本日もイリデセントのブログへお越しいただきまして、ありがとうございます☆


今日、昼間に、ふとした事からシンクロし、愛に気付いて、涙が溢れて来たのです。


昨日は、切通しを歩いた時、以前ならゾクゾクと身の毛もよだつので行きたくもないと思っていた場所を、清々しく歩けたという事実に、ただただ、気分が良かったのです。


一晩たってみて、昨日を思い出していました。

切通しにいたあらゆる者たちが、その時の今を、必死に生きていた事実と、それがその時、苦しかった事実を、癒したかった者たち、救って欲しかった者たち、

様々な存在が、

自分の存在とその素晴らしさを再度認識して、愛に昇華したのだというイメージが私を包んだのです。


切通しの中の熊野神社では、なぜか、未練を持たずに死ねるかという話題が出て、


私は、今死んだら後悔するかもなぁと


と話したものの、後悔するかもなぁという言葉を発した時、


いや、もう後悔はしていない


という言葉が複数、聞こえてきた気がしたのです。


熊野神社は無人で、人こそ1人もいませんでしたが、大きく木が揺れ、何かいる!と思って見ると、リスが目の前の木で、実を頬張り、ポリポリと音を立てて食べていました。


ただ、今を生きているんだなと感じました。


熊野神社の鳥居の裾に、控えめながらも、野草が綺麗な白い花をつけていて、その美しさはまるで光るようでして。

娘に何の花か聞かれ、ミョウガと答えましたが、帰ってから調べてみると、ヤブミョウガという、ミョウガとは異なる植物でした。


娘が花言葉に興味を持っているのでヤブミョウガのを調べたら、


報われない努力、苦しみを和らげる


という、なんとも切ないものでした。

誰かが最初に植えたのか、自然に生えてきたのかはわかりませんが、


この土地を癒し続けている植物たちの健気さにも胸を打たれました。


鎌倉時代の武士や庶民の恐怖と絶望の気持ちの吹き溜まりになっていた切通し。


その時代から見守っていた全ての存在に、私ができる方法で、少しでも愛に昇華できたという事実に、私自身が癒されました。


私も恨み辛みで鎌倉時代を生きた過去があります。


今回のライトワークは、自身の癒しだったと実感する部分が大きくありました。


土地を浄化したいと思って、太陽神官になりましたが、

土地という捉え方の感覚がすっかり変わりました。


そこにいる全ての存在が、どうしてそこに存在するのか、


を感じたスタートとなりました。

そこに在るものは、全て意味がある。


遠隔でも出来るライトワークを、どうしてそこに行く必要があるのかを疑問に思ったこともありましたが、


行くことで、肌で感じ、

今を生きているという実感と、生かされているという感謝に気付く事が出来るのだと思いました。


死してなお、新しく生きても、昔の生の悔しさが忘れられず、引きずっている。

私の中でも、そんな念のようなものが、光になった気がしたのです。

切通しの全ての存在を通して、自分を感じることができた。

そんな気がしています。

全ての存在に愛を見出せたことに感動しています。


ライトワークを通し、自分がシンプルに自分として生きれる気もしました。


この経験は、15日のイベントを前にして、かなり励みになりました。


イベントでは、受けていただく人の、自分では気付かない執着している念へのアプローチも出来ると思います。

よろしくお願いします。