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【参考】駅施設のリノベーション 熊本県「大畑駅、矢岳駅」

2019.08.11 14:58

九州を旅した。一日目は、JR只見線の利活用の参考になるのではないかと思い、隣接する建物をリノベーションした二つの駅、JR肥薩線の大畑駅と矢岳駅を訪れた。

  

今回の九州への旅は、JR只見線と同様に豪雨被害で一部区間が運休(2015年7月~)となり、現在も復旧の形を模索し続けているJR日田彦山線の現場を見てみたいと思い企画。滞在3日の予定を組んだ。

 

初日となる今日は、JR九州が(株)CLASSIC RAILWAY HOTELと協業し推し進めようとしている“無人駅のリノベーション”の様子を見ようと、肥薩線の矢岳駅と大畑駅を訪れた。

大畑(おこば)駅には、隣接する旧保線員詰所をリノベーションしたレストラン(囲炉裏キュイジーヌ LOOP、2018年9月開業)

矢岳駅には、徒歩3分ほど離れた旧駅長官舎(国指定登録有形文化財)をリノベーションしたホテル(星岳・月岳、2019年8月開業)

*参考:㈱NOTE人吉球磨 人吉市農泊推進協議会 URL: http://hitokuma.jp/introduction

   

2021年度に約10年振りに復旧し全線が再開通されるJR只見線は、現在の運休区間を保有し運営に関わる福島県(上下分離/官有民営)が中心となり、様々な利活用計画が検討され、一部実施されている。*参考:拙著「復興推進会議検討会 “9つの重点プロジェクト”」(2017年12月28日)

  

福島県側の只見線は、残念ながら木造駅舎を取り壊し改築してしまった駅が多いが、当時から残る石積みの未使用ホームなどの古い駅関連設備は残されていて、駅近辺には会津地方に多い曲屋の空き家も目立ち、リノベーションして、集客に役立てる可能性を秘めていると思う。*七日町駅は2002(平成14)年に、無人駅を改修し会津17市町村のアンテナショップとカフェが併設する「駅カフェ」に改修されている。

 

私は、JR九州の駅関連施設のリノベーションを含めた「非鉄道事業」で鉄道需要を掘り起こすという手法に可能性を感じている。沿線人口の減少とマイカーの浸透で年々各日に乗客を減らしている只見線にとっては、集客につながる鉄道外施設の活用と新設は不可欠で、JR九州の取り組みは大いに参考になると考えた。さらに、大畑駅と矢岳駅で行われている“線路を廊下にみたて”るエリアマネジメントの手法は、長大な路線で沿線に小さな町や集落が分散している只見線が取り入れるべき手法ではないかと思い、今回の旅で熊本まで足をのばす事にした。

 

 


 

 

昨日は、一日移動に費やした。始発電車で福島を出て、夜に熊本に到着。熊本駅では、県のゆるキャラ「くまモン」が出迎えてくれた。

 

駅から市電に乗り、繁華街に。お盆期間の土曜日ということもあり、銀座通りには人があふれていた。

 

 

名物の「馬刺し」を求めて、店を探す。熊本県は馬肉の生産量が全国一となっている。只見線が走る会津地方産を中心とする福島県は全国二位だ。

 

繁華街から少し外れた、静かな店に決め、店内に入る。

カウンター席に座る。生ビールを一気に飲んだ後、しばらくすると、注文した“馬刺し三種盛り”が運ばれてきた。合わせる酒は、もちろん米焼酎。

レバー、赤身、コーネが綺麗に盛り付けられ、ゴマ油と濃く甘い醤油が小皿に注がれていた。

 

赤身にはサシが入っていた。しばらく会津産の馬肉を食べていたので、この色合いは新鮮だった。

 

会津の馬刺しとは明らかに違う。会津では辛みそを付けて食べる。

馬肉に使う馬は外来種で、農耕馬など頑丈な「重種」と、競走や乗馬に使うサラブレッドなどの「軽種」に分かれている。熊本産は味わいが深いが肉が硬くサシが入った霜降り「重種」、会津産のほとんどは柔らかく赤身の「軽種」という事で、この違いがある。*参考:拙著「会津坂下町「馬肉・地酒」 2018年 冬

   

初めて食べるコーネ(こうね)刺し。タテガミの下の部分で、希少だという。

臭みはまったくなく、まろやかでほのかな甘みがありながら、あと味はさっぱりとした、初めての食感だった。肉?魚?、どちらとも言える不思議な美味しい刺身だった。会津産の「軽種」では供給できないのだろうか、と思った。

  

馬刺しをゆっくり食べ、米焼酎をロックでちびちびとやりながら、熊本の夜を堪能した。

 


 

今朝、宿の周辺を歩き回ってから駅に移動することにした。 

まずは、3年前の「平成28年熊本地震」で大きな被害を受けた熊本城に行く。

南東にある厩橋を渡り、熊本稲荷神社前の緩やかな坂を上ってゆくと、鉄網で覆われた石垣が見えてきた。芝生の上には大型土嚢が並べら、被害の大きさが感じられた。

 

先に進むと平櫓を載せた石垣は傾いているようで、鉄骨をくみ上げた構造物で支えられていた。

  

棒庵坂の急坂を進み、上りきって前方を見ると、崩落した石垣にかろうじて建っている戌亥櫓があった。

 

行幸坂を進むと、石垣は崩れたままだった。

 

加藤神社の鳥居を潜り、境内から熊本城天守閣を見る。

 

大小天守(1960(昭和35)年に再建)の復旧工事が進められていた。

大天守は約800個の石垣を積み直し外観の復旧工事をほぼ終え、小天守は特殊な足場で覆わ、回収された約2400個の石垣が組み直されているという。

 

熊本城全体は「熊本城跡」として国の史跡名勝天然記念物に指定されているため、当時から残る石垣は原型復旧を目指し慎重に進められているようだった。空き地に石が並べられていると思ったら崩れた石垣で、それぞれに番号が振られ、これから写真などを頼りに元の位置にはめ込まれてゆくという事だった。

熊本城の復旧には多くの市民から寄付が寄せられたという。熊本城の復旧工事完了見込みは2037年度。住民の心の拠り所であり、熊本のシンボルが、無事に作業が進められ、その雄姿を再び現す事を祈りたい。*参考:熊本市 熊本城総合事務所/大林組「熊本地震関連情報

  

 

熊本城を後にして、駅へ向かうため路面電車が走る通りに出る。軌道の一部が芝生化されていて、ビル街に彩りを添えていた。

 

路面電車は道路を占有してしまうが、このような軌道緑化により街の景観・ホスピタリティ向上が成され、交通機関としては定時制・大量輸送を実現している。

 

また、低床車両を導入することでバリアフリーも実現できる。熊本市電では、熊本城の城壁をイメージしたという濃茶メタリック塗装のこの車両「COCORO」を2014年10月に導入した。

 


 

市電に乗り、熊本駅に移動。昨夜は暗闇でよく見えなかったが、こう見ると街の意思が感じられるデザインだと思った。

この東口の外観は、今年3月に完成。設計は安藤忠雄氏で、熊本城の石垣の“武者返し”をイメージしているという。

  

西口、新幹線口は近代的な造りになっていた。デザインが街の空気を変える事を実感できた。

   

今、熊本ではJRグループのDC(ディスティネーションキャンペーン)が展開されていた。

コインロッカーの上には、「くまモン」とキャッチフレーズが載った大きなポスターが掲げられていた。

 

駅舎に入ると、改札脇には阿蘇高原でくつろぐ「くまモン」のポスター。ほっこりする構図だった。

 

「くまモン」は、2017年2月、雪が降る中、只見線沿線の只見町を訪れてくれた。

少しではあるが、熊本を旅する事で恩返しができたのではないかと思った。 

  

8:22、改札を通りホームに移動し乗り込んだ八代行きの列車が出発。 

 

8:58、八代に到着。肥薩線の列車に乗り換えた。

肥薩線は鹿児島本線の一部として開業したが、1927(昭和2)年に八代海に面する海側の路線が鹿児島本線として開通すると、熊本県(旧後国)八代市と鹿児島県(旧摩国)霧島市を結ぶ鉄路として改名された。現在、肥薩線は全長124.2 kmで、九州新幹線の開業で並行在来線として“海側の路線”が第三セクター化されると、博多と鹿児島中央を結ぶJRの最短路となっている。*参考:Wikipedia「肥薩線

路線は険しい山間を走っていて、“日本三大車窓”の「矢岳の眺め」がある。私は二度目の利用となる。

  

9:04、特急「いさぶろう」号が出発。

下り(熊本→人吉・吉松)ではこの名称だが、上り(吉松・人吉→熊本)では「しんぺい」号となる。そのためヘッドマークには「いさぶろう・しんぺい」と併記されている。

「いさぶろう」とは肥薩線開業当時の逓信大臣・山縣伊三郎(山口県出身)、「しんぺい」は、同じく鉄道院総裁・後藤新平(岩手県出身)に因む。

  

車両は只見線を走るキハ40形の兄弟車、キハ47形を改造している。形状はほとんど変わならい。

 

車内の様子。落ち着いたインテリアで、照明は柔らかだった。

    

列車は出発直後から球磨川沿いを走った。

 

坂本を出て、藤本トンネルを抜けると、歴史的な変貌を遂げた風景が現れた。県営荒瀬ダムの撤去により清流が戻った球磨川だ。


13年前、車窓から見た球磨川の様子。ダム湖になっていて、周りの風景を映していた。只見線(会津桧原~会津蒲生間)でよく見られる光景だった。

“国内初本格的コンクリートダムの撤去”となった荒瀬ダム解体工事完了を報道を事前に知っていたとは言え、景色が一変していた事に驚いた。*荒瀬ダムの撤去については、後述する。

  

瀬戸石を過ぎると電源開発㈱瀬戸石発電所を脇を通り、ダム湖となった球磨川が車窓から見えた。

 

球磨川は、白石を通過したあたりから瀬が見え始めた。

 

車内放送では、球磨川は“日本三大急流”の一つに数えられ、それを活かしたラフティングが盛んだと伝えていた。

 

復路、帰りの列車内からはゴムボートを積み込むトラックが見られた。1993(平成5)年、球磨川にラフティングを広めたと言われるランドアース社の車両のようだった。

 

只見線沿いで“舟遊び”を考えると、ダム湖でのカヌーやカヤック、伊南川→只見川合流→滝ダム湖までの区間でのラフティング、となるだろうか。

水利権など問題があると思うが、このような“舟遊び”や釣りも含め、川でのアクティビティを創り出す事も、只見線利活用事業には必要だと思った。

 

  

走り出してしばらくして気付いたが、車両の両端には液晶ディスプレイがはめ込まれていた。

 

画面が小さく、画素数が低いようで、鮮やかな映像ではなかったが、沿線の様子が分かり良い設備だと思った。

 

このディスプレイの映像は運転台に取りけられたカメラから送られてきていた。

列車両端から見える風景をディスプレイに映す取り組みは、只見線でも行って欲しいと思っている。見晴らしの良い第一・第二・第三只見川橋梁上からの光景は、是非、正面からの映像で見て見たい。カメラは広角で、画質は4K、画面の大きさは50インチ以上という仕様が“景観鉄道”只見線に相応しく、そこまでの設備を導入しても元は取れると、私は思っている。 

 

 

沿線の中心駅・人吉(人吉市)を出ると、“川線”から“山線”に入る。風景は一変し、列車はディーゼルエンジンの出力を上げて、徐々に高度を上げてゆく。

  

人吉を経て10.4km離れた次駅・大畑(おこば)に入って行く。昼食を摂る予定のレストランはここにあるが、この列車では下車しない。

  

大畑では5分ほど観光下車があり、大半の客が下車し、ホームや“名刺駅舎”で写真などを撮っていた。

 

出発すると、列車はしばらく平地を進み停車。スイッチバッグを行うために、後部運転台に移っていた運転手が再び先頭車両の運転台に車内を通り移動。そして、列車はループ線に入っていった。大畑は日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持ち、肥薩線の見どころの一つになっている。

 

列車はループ線に入ると、一つのトンネルを潜り、列車は大きなエンジン音を立て、大きく左にカーブしながら登ってゆく。わずかに遠心力を感じ、ループ線である事が実感できた。

 

5分ほどでエンジン音が弱まり、車内放送が入る。左側に木々の切れ間があり、眼下に大畑駅のホームの一部が見えた。“展望ポイント”による観光停車のようだ。

 

このループ線の様子は、かつて肥薩線を走っていた特急「おおよど」の姿とともに、大畑駅の壁に写真が貼られていた。

  

厳しい登坂を終えると、山々の頂きが削り取られたような場所に大型の太陽光発電パネルが点在しているのが見られた。

違和感があったが、あとで“地元の方”に聞いたところ、林業が衰退し、畜産が発達したが、ここ数年の伝染病(口蹄疫、鳥インフルエンザ等)で畜産をやめた人が、新たな収入源として太陽光発電を始めたという事だった。

 

 

10:50、大畑から9.5km離れた矢岳に到着。肥薩線の最高点で標高は536.9m。ここでも“観光下車”があり、多くの乗客が降りた。

 

矢岳には、かつて肥薩線を走っていた蒸気機関車「D51」が人吉市SL展示館に置かれていた。

 

“貴婦人”と呼ばれた「D51」。

  

 

約5分の観光下車停車を終え、終点の吉松に向けて出発した「いさぶろう」号を見送った。

  

矢岳駅をゆっくり見る。肥薩線全線開業(明治42(1909)年)当時から残る駅舎は趣きがあった。

駅は現在1面1線だが、当時は島式ホームを含む3線に貨物用3線が敷かれ、木材や木炭の積み出しで賑わっていたという。

 

無人駅ながら、列車の観光下車もあることからか、駅舎内や周辺は綺麗で手入れがされていた。

肥薩線は木造駅舎の割合がJR九州管内で最も多く10を数える。管理は大変だが、その分、地域の象徴になり得て、観光資源としての価値も高い。

おそらく、今後JR九州はこれらの木造駅舎の利活用を進めてゆくだろう。鉄道ファンとして、その動向に注目してゆきたい。

 

駅舎を背景に、旧駅長官舎跡を目指し一本道を進んだ。

  

大川間川を渡り、『このあたりだろう』と思い周囲を見渡すが、看板もなく、それらしき建物が見当たらなかった。

旅行前の調査では、“矢岳駅 ホテル”だけのワードで検索したため、得られた情報が少なく、建物の外観も確認できなかった。悔やまれた。


どうしようかと思い始めた時、運よく近くで畑仕事をしていたご婦人が居た。

ホテルの場所を尋ねると、『そこッ』と目の前の建物を指さした。奥の平屋の建物が、旧矢岳駅旧駅長官舎の外観をそのままに、リノベーションしたホテルということだった。

確かに、歴史ある建物である事は認識できたが、その佇まいから、ホテルもしくは旅館という空気は感じられなかった。

ご婦人と話をしていると、ご主人もやってきてこの建物について教えてもらった。

この旧官舎は公民館として使われた後、沖縄出身の方が購入され、しばらく住んでいた。この方は、離れを作り琉球赤瓦を屋根に葺いた。その後その方が地元に帰ってしまった後は“空き家”になっていたのだという。

  

駅から見ると、前面(東側)に木が生い茂り全容はわからない。建物は適度に“隔離された”領域になっていた。

宿に戻ってからよく調べてみると、確かにこの建物がホテルで、「星岳・月岳」という名前だった。

  

矢岳駅とホテル「星岳・月岳」を一緒に見るとこのような構図となる。

 

一番右の、木々に隠れているいる建物がホテル「星岳・月岳」になる。

 

帰宅後に、ホテル「星岳・月岳」で検索すると、格段に情報量が多くなった。各ホームページで取り上げられたホテルの内装写真を見ると、『まさにこれがリノベーション』という外観からは想像もつかない内装だった。

  

ホテル「星岳・月岳」の「星岳」として利用されている旧矢岳駅旧駅長官舎は1909(明治42)年築で国の登録有形文化財になっている。建材に良質のスギを使用する切妻造で、“全国的に残存例が少ない明治期の鉄道官舎建築のひとつ”だという。*離れが「月岳」になっている。

ホテル「星岳・月岳」はそれぞれ1棟貸しで宿泊は4人まで。和室2室、床張りのベッドルーム、ダイニングキッチン、ひのき造りの浴槽を備えたバスルームがある。

 

そして、このホテルの大きな特徴が、夕食が北に約10km離れた場所で提供されるという点だ。レストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP 」は大畑駅にあり、ホテルとレストランが鉄道(肥薩線)で繋がっている。レールを“廊下”と見立てている。

ホテル「星岳・月岳」の運営会社(株)CLASSIC RAILWAY HOTELのホームページには以下の記述があった。

肥薩線が走る人吉球磨をひとつのホテル、線路を廊下とみたて、レトロな駅施設を再生した宿やレストランをつなぎます。*「CLASSIC RAILWAY HOTEL人吉球磨」URL:http://www.crh1.jp/

*参考:コロカルニュース「〈星岳・月岳〉無人駅が大盛況!熊本に“列車がつなぐ”秘境オーベルジュがオープン」(2019年8月22日)

 

  

 

次は、このレストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP 」に向かい昼食を摂る。 

列車の出発まで時間があったので周辺を歩く事にした。矢岳駅は熊本と宮崎の県境にある。400mほど南に進むと草むらのなかに古い木製の県境標があった。

 

宮崎県に入り少し進むと、昌明寺踏切があり、南に目を向けると「矢岳第一トンネル」の入口が見えた。

 

草に覆われ風雪を感じたが、門のような構えで、よく見るトンネルとは違った。

この「矢岳第一トンネル」建設当時の写真が「いさぶろう」号の車内に掲載され、客室乗務員による解説アナウンスも車内で流れていた。

明治維新の中心的な役割を果たした旧薩摩国の入口に相応しいものにしようとしたのか、ヨーロッパの城壁の門を思わせる外観だ。この矢岳側には山縣伊三郎の揮毫による「天嶮若夷」が、真幸側には後藤新平による「引重致遠」の扁額が掲げられている。特急「いさぶろう・しんぺい」号が、これら扁額に正対するために、下り「いさぶろう」、上り「しんぺい」となっている理由の一つだと思う。

*参考:土木学会西部支部「九州の土木遺産 矢岳第一トンネル

(引用)...当時鉄道の最高責任者であった二人、逓信大臣、山形伊三郎先生が、矢岳トンネルの人吉方に「天険若夷」、鉄道院総裁、男爵後藤新平先生が吉松方に「引重致遠」という縦1m、横2mの石額を坑口に掲げました。これは「テンケンイノゴトシ、オモキヲヒキイテトオキニチス」と読み「天下の難所を平地のようにしたお陰で、多くの人間や貨物などの重いものをどんどん遠くに運搬することが出来る。」という内容です。

 

おそらく、現在のトンネルも、周囲の草を刈りこみ、表面をきれいに洗浄すれば、当時の容貌が復活すると思う。そうなれば、稀有な観光資源になり、この昌明寺踏切付近で列車が出てくる瞬間は、多くの人が『見たいッ!』と思うコンテンツになるのではないかと思った。ホテル「星岳・月岳」の宿泊者にオプションとして提示した場合、受け入れられるのではないだろうか。*参考: 鹿島建設株「鹿島の軌跡 第50回 肥薩線矢嶽隧道-難渋する隧道工事が生み出した「矢嶽越え」

  

この「矢岳第一トンネル」を出ると宮崎県に入り、しばらくすると“日本三大車窓”(旧国鉄)の一つである“矢岳越え”を通過し、真幸(まさき)に停車後に鹿児島県に入ってゆく。

13年前に私が見た時には、霞掛かってはいたが霧島連山えびの高原を見渡し見下ろす事ができた。

 

駅周辺を1時間30分ほど巡り、駅に戻り下り列車を待った。

 

12:27、私の乗った「いさぶろう」1号が、「しんぺい」2号となりやってくるのが見えた。

 

列車が停車し、観光下車で多くの乗客が降りる中、先頭車両に乗り込み展望スペースを見る。車両改造となると、大きな窓はこのような設えとなるのか、と見入った。

 

12:32、矢岳を出発した列車は、まもなく坂を颯爽と駆け下りていった。ループ線の“展望ポイント”では往路と同じように観光停車があり、車内放送で説明があった。

 

   

その後、列車はループ線を大回りにくだり引き込み線に入り、スイッチバッグ後に、ゆっくりとホームに入っていった。南九州近代化産業遺産に登録されていると給水塔と目的地のレストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP 」、新旧混在の建物が出迎えてくれた。

  

12:49、大畑に到着。地元では焼き畑で拓かれた畑を“こば”と言う事から、この名になったのだという。ちなみに、小畑(ここば)という地名は無いそうだ。

 

ホームや駅舎は観光下車の方々で賑わい、駅舎では「大畑駅を愛する友の会」のメンバーが駅舎の説明や地元産品の販売をしていた。

 

「しんぺい」2号は5分ほど観光停車した後、再び乗客を乗せて、緩やかな下り坂を静かに下りて行った。

 

 

大畑駅の特徴は、“名刺”だと聞いていた。

 

外壁にもあふれていたが、中は四方の壁の手が届くところは下地が見えないほどの名刺が貼ってあった。

“大畑駅に名刺を貼ると出世できる”という噂が平成初期に広まり、このようになったという。

一説には、肥薩線全通時の逓信大臣・山縣伊三郎(叔父・山縣有朋の養子となり内務官僚、逓信大臣、貴族院議員などを歴任)と鉄道院総裁・後藤新平(仙台藩水沢城下の留守家に生まれ、後に義父となる安場保和に引き立てられ、医師、内務官僚、鉄道院総裁、東京市長、帝都復興院総裁などを歴任)にあやかったとも言われている。

  

駅舎は、矢岳駅と同じように木造で、同じく開業(1909(明治42)年)当時のままだ。

大畑は江戸時代、薩摩へ抜ける加久藤越え(かくとうごえ)の宿場町として栄え、肥薩線の開通までは客馬車が往来したと言われるが、駅は大畑町の中心は西に3km以上離れていて、周辺には1軒の民家があるだけだ。

この大畑駅は乗降駅というより、蒸気機関車が熊本ー宮崎間の“矢岳越え”をするための信号所と給水所、乗務員の休息所という役割が強く、“SLのため”に作られてた駅だと言われている。

 

 

駅の西50mほどのところにあるのが、列車内から見えた石積みの給水塔と旧保線員詰所。この詰所がリノベーションされてレストランとして生まれ変わったのが「囲炉裏端キュイジーヌLOOP 」だ。

ゲートには「CLASSIC RAILWAY HOTEL人吉球磨」サインが吊り下がっていた。人吉市の西にある、あさぎり町在住の作家によるものだという。

    

ホームからみると、駅施設ということで駅と一体化していた。

  

レストランは旧保線員詰所の外観をできるだけ活かし、通路やホーム側の拡張部にウッドデッキを設け、入口を新調していた。

 

営業はランチ(11:30~15:00)とカフェ(15:00~17:00)で、ディナーは宿泊者限定(ホテル「星岳・月岳」の宿泊者)だという。

 

店に入り、名を告げると左側のカウンターの一番奥に通された。予約は1か月前に入れておいた。

 

グラスワインを注文したあと、渡されたメニューを見た。メインは“囲炉裏フレンチバーベキューという肉料理”が選べるようで、地鶏「天草大王」、球磨の黒豚、くまもとの黒毛和牛が記されていた。私は球磨の黒豚を頼んだ。

 

まず運ばれてきたのが、前菜の季節野菜のパフェ。その彩りに感動し、さっそく手を付けてしまい、写真を撮るのを忘れてしまった。

その見た目の素晴らしはさることながら、味、香り、食感、前菜のイメージが、良い意味で大きく崩され、たまらなく嬉しくなった。

 

続いて、“ループ風”冷製スープ。野菜の味が感じられた、さっぱりしたスープだった。

 

地元産の野菜と生ハムを使ったサラダ。食感や味は申し分なく、その彩りに華やいだ気持ちになった。

 

そして、球磨の黒豚のフレンチバーベキュー。表面はカリッ、中は柔らかく、マスタードソースとの相性が抜群だった。

 

食後は“水源地コーヒー”。ヒートランプウォーマーで温められたカップに注がれて給仕された。

最後まで隙が無い、素晴らしい味と見た目、そしてサービスだった。

  

オーナーシェフを始めとするスタッフは、列車が通過する度に作業を止め、手を振っていた。

本数が少ないとは言え、スタッフにこの地にレストランを開業した哲学が浸透していると感じ、素晴らしいと思った。 

最後にフロア担当の方と少し話をさせていただき、店を後にした。レストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」でのランチは充実したものとなり、お腹も心も満たされた。

 

前述したようにレストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」では、ホテル「星岳・月岳」のディナーを提供している。今回、ランチの満足度を考えると、ディナーには期待が持てる。是非、ホテルに泊まり、ここでディナーを食べたいと思った。


レストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」とホテル「星岳・月岳」、この二つの施設を組み合わせた、地域で宿泊者をもてなすプランはユニークで、大きな可能性を感じた。

「星岳・月岳」は外観を見るだけに留まったが、(株)CLASSIC RAILWAY HOTELが目指す“地域一体をホテル、線路を廊下と見立てる”に至った現地の魅力を感じ、その狙いの一端を理解することができた。 

「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」と「星岳・月岳」は、「非鉄道事業」で鉄道需要を掘り起こすというJR九州の方針と、地域に眠った資源を活か(リノベーション)し事業を展開したいとする民間(㈱CLASSIC RAILWAY HOTEL、(株)NOTE)の思惑の一致で生み出されたものだ。

他地域で同様の取り組みをする場合、JRの方針と熱意とプランを持った民間の出現は必要だが、地域に人の流れを生み活性化させたいとする地元住民や関係者の意思や協業の仕組みがあれば、実現は可能ではないだろうか。

開業当時から残る駅関連施設をリノベーションし、しかも、それぞれに役割を持たせ、鉄道乗車を組み合わせた広域観光地を構築したこのJRと民間のスキームは、特にローカル線を持つ地域にとって参考になるのではないかと思った。

 

鉄道は人の交流をもたらすインフラだ。そこから派生するモノやコトは計り知れない。さらに、鉄道は限られた場所にしかないという特異性・優位性がある。さらに、只見線を含め「赤字83線」に指定されながら残った鉄道には、風雪に耐えた歴史の重みと住民の思いがある。*参考:Wikipedia「赤字83線

地域住民や行政は地域に鉄道が走る事を誇りに思い、移動手段を超えた鉄道の価値を考える事で、地域の価値を高められ、観光やビジネス需要の創出し、人の流れを生んでゆけるのではないだろうか。

我が福島県では、何といっても区間廃止の危機を乗り越えて約10年振りに再開通する只見線だ。豊かな自然と会津の歴史・文化を活かせる只見線沿線には、その可能性がある事を、今日の旅を通して確信した。

 

JR九州と(株)CLASSIC RAILWAY HOTELは、今後も九州各県で無人駅の施設を活用した同様の宿やレストランを展開する計画だという。“先駆者”として実績を上げ、只見線利活用に携わる沿線自治体や関係者の“教科書”になって欲しいと思う。私も今後も展開に注目してゆきたい。

 

食事を終えて、列車が出発するまでの約2時間をどうしようかと駅に向かうと、下車直後に声をかけていただいた“地元の方”から、その神社の裏からの眺めが良いから行ってみては、言われた。

 

さっそく鳥居を潜り宮地嶽神社に向かって坂を上った。

 

5分程で社に到着し、切り開かれた裏手に行くと遠く見通せる“展望所”になっていた。

駅から坂を上ってきたが、それを差し引いても大畑駅がかなり高い位置にある事を実感した。

宿に帰って調べると、ここから見えたのは球磨川沿いに立地する錦町-あさぎり町-多良木町-湯前町で、宮崎県との県境となる市房山(1,721m)-湯山峠-江代山(1,607m)の山稜だった。

 

 

宮地嶽神社を後にして、再び駅に戻ると、先ほどの“地元の方”が、また近寄ってこられ『ループ線の展望所がある。案内しましょう』と車のキーを出し、乗車を促してくれた。予想外の展開に驚いたが、好意に甘え、軽自動車の助手席に乗り込んだ。この“地元の方”、後で名前を尋ねると、『尾方です』と名乗られ、人吉市に北接する相良村に住んでいると言われた。

 

車は西に進み、坂を上り、舗装道から砂利道に左折し、建ち並ぶハウスが見えるとまた左折し、突き当りで停車。尾方さんは『ここは民有地だけど、所有者は知り合い。許可をもらっているから大丈夫』と言われ、『そこだよ』と草刈され整備された小高い丘を指さした。

 

短い斜面を登ると視界が開け、大畑駅手前のループ線の一部が見えた。素晴らしい眺めだった。

列車の動きが良く見える、格好の展望所だった。下の写真は、春に桜咲くループ線の入口を駆け上がろうとしている「いさぶろう」号を捉えたもの。

  

この高台からは、ループ線が敷設された全体も見渡せた。

「いさぶろう・しんぺい」号が観光停車した“見晴らし位置”も見えた。

尾方さんからは、大畑・矢岳を含む人吉~吉松間でSLを走らせようとする運動があったが、路盤の強化等で費用が50億円掛かる事になり断念した事を聞いた。もし、SLが走るのならば、ループ線を最大出力で蒸気を噴き上げる様が見られて、壮観だろうと思った。

前述した通り、現在、熊本~人吉間には「SL人吉」号が走っている。このループ線を含む“矢岳越え”に挑むには、後補機となるもう一台の牽引車が必要だという。 

  

続いて尾方さんは観光名所である「人吉梅園」を案内してくれた。毎年2月には「ひとよし梅まつり」が開催され、後半には桜との共演も見られるという。

駅に戻り、尾方さんと、主に人吉市の観光、飲食、宿泊について話をした。尾方さんのお陰で、肥薩線沿線を中心とする地域への理解が深まり、関心も高まった。

 

列車が入線すると、尾方さんに心からの感謝を伝え、必ず人吉を訪れると約束をして別れ、「しんぺい」4号に乗り込むんだ。

 

16:23、列車は大畑を出発。「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」を見るとスタッフが手を振っているのが見えた。

  

 

帰りの列車の中では、ちょっとしたアクシデントがあった。私の乗った車掌のエアコンの調子が悪く、室温が下がらなかったのだ。

車掌と客室乗務員が席を回り状況を説明し、後刻、『暑くないですか?』と団扇を配り始めた。

確かに、車内は涼しくとは言えなかったが耐えられないものではなかった。車掌からは別車両に移動が可能とも言われたが、そのまま団扇を扇ぎながら過ごした。

 

結局、冷房は復旧せず、この車両に乗った乗客の特急料金は払い戻される事になった。降車駅で払い戻しが受けられるよう、客室乗務員が特急券に一筆入れてくれた。

 

列車は球磨川沿いを快調に下っていった。

  

17:31、葉木を過ぎてしばらくすると、藤本発電所の取水口の跡が見えてきた。

 

そして、昨年3月に“国内初本格的コンクリートダムの撤去”が完了した熊本県営荒瀬ダム跡地の全体を見る事ができた。

 

前述したが、景色は一変していた。下の写真はダムがあった時の、この付近の球磨川の様子。列車の進行方向は逆だが、湖が川に“変わった”事が実感できた。

荒瀬ダムの撤去後、清流に生息する底生動物や魚の種類が増え、アユなどの餌になる藻類も順調に育つ傾向がみられ(熊本県調査)、漁師も『アユの産卵に適した環境になってきた』と実感しているという。

熊本県はダムを撤去する際、ダム湖に堆積した土砂約60万㎥のうち、河川環境を悪化させる泥土約11万㎥を除去。残りは川の健全化に役立つ砂や小石で、治水対策などで10万㎥を取り除いた以外は自然に流れるようにした。このためか、県の調査によると、清流に生息する底生動物や魚の種類が増え、アユなどの餌になる藻類も順調に育つ傾向がみらたという。

*参考

・西日本新聞「荒瀬ダム撤去清流着々 球磨川、3月工事完了 変化富む流れ復活 流域全体の改善課題」(2018年4月1日)

・熊本県企業局:「荒瀬ダムの撤去」-日本初の本格的コンクリートダムの撤去- 15分版(一般向け)

・6分36秒 平成24年度 第一段階の工事「洪水吐ゲート撤去」
・7分03秒 「放水口掘削」
・8分15秒 「試験発破」→「門柱7 倒壊発破」
・9分23秒 「堤体(右岸・みお筋部)発破」
・9分38秒 「導水トンネル埋め戻し」
・11分29秒 「堤体左岸部 発破」
・12分37秒 「(藤本発電所)発電機撤去」

 

 

  

荒瀬ダム跡の下流域には逢拝堰があるだけだ。大きく緩やかな魚道があり、ここを多くのアユが遡上するのだろう。 

 

球磨川は川幅を広げ、八代湾に注いでいる。河口付近では荒瀬ダム撤去の効果として、干潟の再生が確認されているという。

只見川は、注ぎ込む阿賀(野)川にも多くのダム式発電所があるため、荒瀬ダム撤去は参考にならないかもしれないが、全国各地に老朽化し歴史的役目を終えたダムを持つ自治体にとっては教科書になるのではないだろうか。

  

17:47、八代に到着。普通列車に乗り換える。降りる際、JRの職員から冷たいお茶を渡された。冷房不調に対するお詫びのようだった。ありがたくいただいた。

 

 

20:01、本日の宿泊地となる久留米に到着。一日目の予定を終えた。

 

肥薩線を利用し、矢岳駅と大畑駅を訪れる旅は充実したものになった。大畑駅では尾方さんに、観光情報には乗っていない場所を紹介され案内されたという幸運などもあり、当地の理解も深まった。人吉地域には歴史があり、見どころも満載で、レストラン「囲炉裏端キュイジーヌLOOP」とホテル「星岳・月岳」は今後利用者を増やしてゆくだろうと感じた。

 

次に九州を訪れる事があれば、ホテル「星岳・月岳」を利用し、レール(肥薩線)を廊下に見立てた“地域ホテル”を実感したいと思う。

 

 

(了)

  

 

【私見:只見線沿線のリノベーションについて】   

福島県内の只見線には、リノベーションできるような駅関連・周辺施設は極めて少ない、と私は思っている。ただ、使われなくなったホームや周辺の大屋根・曲り屋を持つ空き家など、利活用できる構造物・建築物は少なくない。

以下に、4つの駅を挙げたい。

 

(1)会津本郷駅(会津若松市(旧北会津村)、会津若松駅から3駅目、6.5km)

国指定伝統工芸品「会津本郷焼」の窯元群の最寄り。*参考:会津本郷焼事業協同組合「会津本郷焼

1926(大正15)年10月開業時の木造駅舎は2000(平成12)年1月に建替えられている。相対式だった片方(北側)のホームは廃され、レールは撤去されている。ここはカフェやレストランの適地ではないだろうか。

 

北側が田園に面し、ホームの東端からは磐梯山が見える。

 

現在、廃ホームの側には太陽光パネルが設置され、近くには建築会社の古い倉庫が建っている。

 

 

(2)会津高田駅(会津美里町、会津若松駅から4駅目、11.3km)

県立大沼高校の最寄り駅であることから、駅利用者は多い。

こちらも、1926(大正15)年10月開業時の木造駅舎は2000(平成12)年1月に建替えられ、相対式だった片方(北側)のホームも使われていない。ここも、カフェやレストランの適地だと思う。

 

廃ホームには木が植えられているため、列車内からの見晴らしは良くないが、大田園が近接しているロケーションは素晴らしい。

 

 

(3)会津宮下駅(三島町、会津若松駅から16駅目、45.4km) 

使われなくなった転車台とSL時代の給炭台がある会津宮下は、沿線の街中にある駅では“リノベーション”の候補に上がるのではないか。

 

 

(4)早戸駅(三島町、会津若松駅から17駅目、51.2km)

早戸温泉の最寄り駅。周囲に民家の無い、“秘境駅”となっている。使える施設は無く、リノベーションとは無縁だが、このロケーションは“線路を廊下に見立てた”エリアマネジメントで大きな役割を果たせるのではないだろうか。

 

近隣には自炊施設付き宿泊湯治をもつ「早戸温泉つるの湯」や、一棟貸ヴィレッヂ「ほんそん棟」「かわべり棟」がある。

 

早戸駅から4kmほどはなれた高所にカルデラの沼沢湖があり、その東側に沼沢集落がある。

 

豪雪地帯特有の大きな屋根を持つ家が多く、一見したところ、空き家も点在していた。それらをリノベーションし宿泊施設とすれば、富裕層などの集客が見込めるのではないだろうか。

 

 

以上。 


 

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*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室 :「JR只見線 福島県情報ポータルサイト」/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)