Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

機関精神史 公式ホームページ

なぜ中国人はフジロックにキュアーを見に行くのか?――中国ロックと海外オルタナシーンの交流史

2019.08.12 08:22

苗場の怪人

2019年7月30日、泥濘のグリーンステージのモッシュピットでキュアー(怪人合唱団)の登場を待ち望む自分の隣にいたのは、スマホで撮影したステージをWe Chatで友達に送る中国の若者の姿だった。

2007年7月27日、フジロックでヘッドライナーをキュアーが同じように務めた時、こうした姿を見た記憶はない。中国人がキュアーを聞くことに驚いた。いったい、10年間で何が起こったのだろう? なぜ、今、多くの中国の若者の心をキュアーが掴んでいるのだろうか?


中国のロックスターとキュアー

中国のロックの歴史がはじまったのは、1986年5月、北京の工人体育館で開催された「百名歌手」というイベントで、一万人の観客の前で歌われた崔健(Cui Jian)の「一无所有」(俺には何もない)からである。「一无所有」はシンセサイザーの音ではじまる。スティングのように堂々した歌声のストレートな表現が、若者たちの心を震わせた。中国のロックのスタートは改革開放によって流入したブルースやビートルズと共に、80年代の同時代に流行したニューウェーブ(新浪潮)やポストパンク(后朋克)をルーツにしていた。

「一无所有」は1989年、天安門事件の渦中で若者たちによって歌われ、ロックは反体制音楽として恐れられた。崔健は公の場での演奏を禁じられ、ロックは弾圧された。1989年6月4日の天安門事件の一月前の5月12日に発売されたのはキュアーの世界的ヒット作『ディスインテグレーション』だった。

表のロックスターが崔健であったとしたら、裏のロックスターは竇唯(Dou Wei)である。中国で最も売れたロック・バンドである黒豹楽隊(HeiBao)のフロントマンであった竇唯は黒豹脱退後に、内向的で実験的な音楽のソロ活動で、中国のオルタナティブ・ロックの第一人者の地位を得た。

1994年にレコード会社、魔岩唱片(Magic Stone)から発表されたファースト・アルバム『黑梦』(Black Dream)は中国で初めてのゴス・ロックと評価される音盤である。

『黑梦』を聴けば、キュアーの影響は明らかである。ギターのサウンドは初期のキュアーを思わせ、アルバム全体は暗黒三部作に匹敵する暗さを秘めたサウンドだ。一方で、レゲエやダブを基調にポップに展開させる竇唯の多様な曲作りはダークな側面とポップな側面を合わせ持つロバート・スミスの作曲によく似ている。

『黑梦』をリリースした1994年、竇唯は、レディオヘッドの香港公演の前座を務めた。当時『パブロ・ハニー』しかアルバムを出していなかったレディオヘッドのその後の『ベンズ』や『OK・コンピュター』といった名作に竇唯の実験的で暗い作風が影響したと考える人もいる程に、中国で竇唯の評価は高い。

崔健が伝説的なロックスターであったのに対して、竇唯はアンダーグラウンドのミュージシャンだ。ハードロック・バンドとして表舞台でキャリアをスタートさせながら、脱退後のソロでは作品ごとに作風を変化させ、ブライアン・イーノのようなアンビエントや、Bark Psychosisのポスト・ロック、テクノ、ラップまで最新の音楽を取り入れ、地道にダークな雰囲気の音楽を現在でも作り続けている。中国初のゴス・ロックの竇唯の出発点がキュアーであったのは決して一面的な現象ではない。

中国オルタナロック史はキュアーの精神を引き継いではじまった。

中国のインディ・ロックシーンとキュアー

2000年代は、中国のインディ・ロックシーンにひとつのムーブメントが起こった時代であった。仕掛け人は北京の大学で金融を専門としたアメリカ人Michael Pettisである。Michael Pettisが2006年に北京に創設したライヴハウスD22と、インディロックの専門のレーベルMaybe Marsは本格的なバンドのムーブメントの拠点となった。お金はないが音楽に魅了された若者たちの姿は、Shaun Jeffordのドキュメンタリー映画『北京パンク(Beijing Punk)』(2010)で見ることが出来る。

同地で誕生し、成功したバンドにCarsick Carsがいる。共産党、あるいは毛沢東を想起させる中国の国産の煙草の銘柄を歌った名曲『中南海』は最も知られた曲のひとつだ。曲の歌詞は単純だ。「中南海を吸うだけ」(抽烟只抽中南海)、「中南海なしでは、やってられない」(生活离不开中南海)、「誰だ、俺の中南海を吸ったのは」(谁抽了我的中南海?)と歌うだけのものである。だが、この歌には、何かニヒルな魅力がある。


その匂いを嗅ぎつけたのは、Sonic Youthのサーストン・ムーアだった。2007年、中国のプロモーターModern Skyによって呼ばれたSonic Youthは Carsick Carsと対バンした。Carsick Carsはその後、Sonic Youthの前座としてヨーロッパをツアーし、世界のオルタナシーンにも人気を広げる。『20世紀を語る音楽』や『これを聞け』(みすず書房)などで日本でも知られたThe New Yorkerの音楽評家アレックス・ロスにも着目され、2008年のベストなパフォーマンスに、Carick Carsのヴォーカル・ギターの張守望(Zhang Shouwang)がD22で行ったソロ・インプロヴィゼーションは選ばれている。

サーストン・ムーアはCarsick Carsのメンバーとの対話の中で、北京のインディ・ロックシーンについて、アートが面白かった80年代のニューヨークを思い浮かばせると話している。中国のアンダーグラウンドで行われる若者たちの音楽は、かつての60年代や、80年代のユースカルチャーを牽引してきたミュージシャンたちに当時の熱狂を思い起こさせていた。

中国のインディ・ロックシーンの代表格となったCarsick Carsもキュアーに関係したバンドだった。Carsick Carsのメンバー、ベース李维思(Li Weisi)、ギター李青(Li Qing)で結成された別バンドSnaplineは竇唯の『黑梦』以来、最もキュアー的なサウンドを鳴らしているバンドである。

Maybe Marsからリリースされたファーストアルバム、『Party is over,Pornostar』 (2007)は、セックス・ピストルズ脱退後のジョン・ライドンが結成したパブリック・イメージ・リミテッドのドラマーであった、Martin Atkinsによってプロデュースされた中国のポスト・パンクの名盤である。


2006年に北京でSnapplineのライブを見たMartin Atkinsは異様な曲に魅了されプロデュースすることになった。アルバムの1曲目の「Close Your Cold Eyes」はキュアーの『セヴンティーン・セカンズ』の収録曲のような雰囲気である。3曲目の「Jenny」はまるで、ワルシャワ時代のジョイ・ディヴィジョンのような曲だ。

Snaplineが面白いのは、Martin Atkinsがミキシングしたセカンドアルバム『FUTURE EYES』(2008)の出来が気に入らず、自分たちでレコーディングをし直し『Phenomena』(2012)としてもう一度、リリースしていることだ。Martin Atkinsのミックスした「Flu」と、Phenomena版「Flu」を聴き比べれば、ベースの重さや、低音の音響が増され、Martin Atkins以上にSnaplineがダークな音楽を志向していたことが掴める。自分たちの求める音楽のために妥協しないバンドであった。サードアルバム『Shou Hua』(2018)は、ザ・フォール、ア・サーティン・レイシオ、スーサイドといったバンドを思わせられ、ポスト・パンクの黄金時代のサウンドを継承している。

奇蹟的な動画がある。それは中国の動画配信サイトYOUKUに掲載された、2006年にライヴハウスMAOで行われたブリティッシュ・ロックのカバーイベント「英式摇滚翻唱纪念会」でキュアーの「フライデー・アイム・イン・ラブ」をSnaplineが演奏した動画だ。中国のバンドがキュアーを演奏した初めての映像ではないだろうか。


この公演には、観客によって撮影された動画もあり、そこには「フライデー・アイム・イン・ラブ」を合唱する観客の声も録音されている。

オルタナ中国ロックの精神史を理解すれば、中国人がフジロックにキュアーを見に行くことは驚きではなかった。

キュアーは竇唯から、Snaplineに至るまで、中国のロックを先導してきたミュージシャンたちの音楽の源泉であったのだ。

苗場で中国人がキュアーのフライデ―・アイム・イン・ラブを合唱する。

これが中国のカルチャーの現在の姿なのだ。


中国のユースカルチャーの現在

冷戦下の東西分裂したドイツで西のパンクを東ドイツに持ち込み、教会を隠れ蓑にパンクバンドのライブを実現した「音楽密輸人」マーク・リーダーが、いま、中国のバンドに注目している。(マーク・リーダーの音楽の「密輸」についてはHEAPS連載の回想録が最高)

マンチェスター店でレコード店を営み、イアン・カーティスと知己でもあったマーク・リーダーが、今、中国のバンドを見て、ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーを初めて見た時のことを思い出すと話す。


マーク・リーダーがプロデュースしたStolen(秘密行動)のアルバム『Fragmnet』の日本版は、この8月7日にU/M/A/Aから発売され、マーク・リーダーと縁がある石野卓球もリミックスで参加している。そして、Stolenは秋にはニュー・オーダーとヨーロッパでツアーを行う予定だ。

もしも、中国のユースカルチャーの最前線に興味を持ったならば、「あなたが知らない中国がある」と、急速に変化する中国のカルチャーの現在を伝えようとする独立メディアRadiiを是非、覗いて見てほしい。

音楽についての内容が充実し、「Yin:音」というシリーズで最新の中国のミュージックシーンをウィークリーで伝える記事が掲載され、Stolenも頻繁に取り上げられている。

中国のバンド事情は変化し続けている。ヒップホップを中国でポピュラーにしたきっかけとなった番組The Rap of Chinaを配信したiQIYIは現在、The Big Bandというバンドをテーマにしたミュージック・ヴァラエティを配信中だ。(iQIYIをダウンロードし検索窓に「The Big Band」と打ち込めば視聴可能)。

台湾のSkip Skip Ben Benの音楽は素晴らしく、気に入ったブライアン・ジョーンズタウン・マサカーのメンバーが、ケヴィン・シールズに紹介し、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの台湾公演の前座に指名された。キュアーに影響を受けてもいる北京のポスト・パンクのバンドRe-TROSの楽曲にはブライアン・イーノが参加し、デペッシュ・モードのヨーロッパツアーのサポーティングアクトにもなった。エモを語るうえで外せないキャップン・ジャズのキンセラ兄弟のバンドAmerican Footballは武漢出身のマスロックのバンドChinese Footballとツアーを同行し、Chinese FootbalのフロントマンのジョハはFUJI ROCKでキュアーをAmerican Footballのメンバーと一緒に見たとツイートしている。

US、UKロックのシーンは中国のユースカルチャーに浸透し、世界のムーブメントは変わってきている。この記事で取り上げた中国のバンドは、いずれもお薦めできるものばかりだ。最後に、こうした変化がわかるように、上から順番に辿ればここ10年の中国のロック事情がわかる「オルタナ中国ロック史を知るためのリンク集」をつけたので、よければご覧いただきたい。


「オルタナ中国ロック史を知るためのリンク集」

中国揺滾(ロック)年表

Rocking Beijing:China's underground music scene

The beginning of Chinese rock

Inside China's alternative music scene

Anarchy in the PRC! 'Beijing Punk'

In conversation: Thurston Moore and Zhang Shouwang

Symphony of Millions

D22 Closing: Full Interview with founder Michael Pettis

Godfather of Beijing’s Indie Music Scene Dissects China’s Experimental Soundscape

Asia Art Tours interviews Maybe Mars Founder Michael Pettis

「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録

中国でようやく開花、デジタル世代の音楽〈シノ・シーン〉。伝統の大手レーベルを拒否、売り上げより“ライク数”?

成都をチャイニーズヒップホップの一大中心地に変えるラッパー7選

Chengdu’s STOLEN to Tour with New Order in October

STOLEN are a brilliant new tech pop band from China who are working with the legendary berlin based Mark Reeder

iQIYI Prompts Revival of Chinese Indie Music Through Hit Original Variety Show "The Big Band"

Applauding Deconstruction: An Interview With Hua Dong Of Re-TROS

Ben Ben talks about supporting My Bloody Valentine

[Interview] Xubo (Chinese Football)


文責・ランシブル