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隷書の基本学習「曹全碑」

2019.08.13 03:52


本校の書写書道学習では、高校2年生に漢時代の正式書体である隷書を学びます。

上の画像は、書道部の夏期合宿錬成会での臨書の取組みの様子です。


漢字五書体(篆書・隷書・草書・行書・楷書)の学びの中で、隷書の古典(名品)の学習では基本学習として「曹全碑(そうぜんひ)」を学習します。




 ◆ 曹全碑冒頭の「君、諱(いみな)は全(ぜん)、字(あざな)は景完(けいかん)の臨書学習

 




 隷書は日常の生活の中では、新聞の題字や書籍の題字などに用いられている書体で、漢時代の正式書体です。



◆ 隷書が用いられている例







1 曹全碑とは


曹全碑「そうぜんひ」は八分隷「はっぷんれい」の典型の一つとして知られています。

後漢末期の作で、16世紀の末に陝西省で出土しました。 

長く土中に埋もれていたため、碑文はほぼ完全に残っており、他の碑に比べて一点一画が鮮明で美しい碑です。

 内容は、曹全という人が黄巾の乱を収拾したことや、民政に力を尽くしたことたたえた、頌徳碑(しょうとくひ)です。頌徳碑(しょうとくひ)とは人物の業績や人柄を褒め称えた記念碑のことです。





2 曹全碑の評価


曹全碑「そうぜんひ」は数多くの漢碑の中にあって「神品」(かみわざ的な第一級品)と称されています。

文字の構成は正しく、隅々まで行き届いた心配りが見られ、波勢(はせい)は長く美しく、まるで紙に毛筆で書かれた文字がそのまま定着したかのような美しさです。

(※波勢(はせい)とはもともとは右はらいの意、隷書の波打つようにうねる右はらいの事です。)

漢王朝も末期になると、正統な隷書が徐々に乱れてきて、隷書と楷書の中間書体が多くなリますが、その中でこの碑は、隷書の伝統を完璧なまでに受け継いでおり、「漢隷の最後の花」と呼ばれています。




◆ 教科書の解説の例(東京書籍書道Ⅰより)







3 曹全碑の臨書


今年の佐賀総文では、本校書道部高3の平田さんは「曹全碑」の臨書作品を出品しました。



◆ 2019佐賀総文(唐津市)





4 曹全碑解説


 曹全碑は、詳しくは「郃陽令曹全碑」といいます。曹全は字を景完といい、非常によく義祖母や継母につかえ、建寧2年(169) 孝廉に挙げられ、郎中の官に除せられ、西域戊部司馬を拝しました。このころ疏勒国王和徳が叛きましたが、これを討って功績をあげました。


 つづいて光和7年(184) 張角の農民蜂起(黄巾の乱)に際して、郃陽令を拝して動乱を収めました。そこで群僚たちが彼を称え、生存中に頌徳碑を建てたものと想像されます。


 ところが何らかの理由で(中平2年9月に三公の一人楊賜が亡くなり、そのブレーンであった諫議大夫の劉陶は失脚し、翌月処刑されたことが史書に見えることから、曹全もその一味であったかと推測されています)、建碑の直前に土中に埋められてしまいました。


 万暦年間初め(16世紀末)に出土するまで、実に千数百年間、風雨にさらされることもなく、また拓本をとられることもなく、ずっと土中に眠っていました。


 そのため出土した当時は、「因」の字が欠けていただけで、文字は完好であったといわれ、そのような明拓本を見ることができます。清朝になってから碑が中断し、「乾」の字の偏を車偏のようにノミが入れられたりしましたが、1800年も経っているとは思えないほど文字がはっきりしています。


曹全碑の原石は現存しており、現在は中国陝西省西安市の西安碑林の中に保存されています。




 ◆  西安碑林にある曹全碑(2014年撮影)





碑林第1室




第1室展示の石碑 左が曹全碑

曹全碑全景

 



曹全碑の字体は卓越して秀麗で、結構は釣り合いがとれ、漢代末期の名碑です。



 ただあまりに美しい隷書であることと、これを学んだ明代や江戸時代の隷書が流媚低俗なため、この碑までもが俗なものであるように言われることがあり、残念です。


 もっとも我国には現物の拓本は渡来せず、明和(1464~1771) の頃、三井一族の富豪、伊勢の韓天壽(字は大年、中川氏 1727~1792)が長崎あたりで入手した拓本を模刻して同好者に配ったのが一般に知られるに至った初めといわれています。


 今世紀の初めオーレル・スタインなどが発見した木簡などの中に、曹全碑風の八分があることから、この碑も再評価されるようになりました。漢碑の優麗な書風を代表するものとして学書に最も適したものといえます。


 碑陰について、屋代弘賢は入手した曹全碑の拓本に、「隸辧に曰く曹全碑陰、凡て四列、共に五十七人。金石文字記、詳にその姓名を載すと。金石刻考略に云う、碑陰は字体細小なりと。金石史に云う、書法簡質にして草々経意せず、また別に一体たり。益々知る、漢人の結体は意に命じて、錯綜変化して衫(ひとえ) せず、履(はきもの)せず、後人の及ぶべきにあらずと。余はこれを読みて望蜀(足ることを知らない)の思いあり。」と跋しています。



 碑陽(碑面)・碑陰には現在でも拓本が張られてなく、刻されたままの姿で建っています。グレーがかった薄茶色の石のせいか、温厚で人望の厚かった曹全の人柄が忍ばれる感がします。もっともこの碑も例に洩れず、回りをしっかりと鋼材で固め、碑陰の中央部には巾広の鉄板がはめられています。



 5年前にこの碑を見た時は、確か、文字を石膏で埋めてあったと記憶しています。あるいは思い違いかも知れません。現在、第一室・第二室・第三室の石碑は石質の劣化防止のために石面には拓本禁止で、この碑のガラスケースを外して本物を目にすることはありません。ただし、碑面には拓本が貼ってあり、さらに強化ガラスがはめ込んでありました。




曹全碑碑陰



曹全碑 碑面(碑陽)拡大



拓本全景


私たちが学習する冒頭部分の拡大






今後、碑林第1室の拓本が痛んで時は拓本の張り替えの作業がありますので、その張り替えの時期に西安碑林を訪問すれば、曹全碑の碑の本物を目にすることができると思っています。