Okinawa 沖縄の旅 Day 11 (12/08/19) Sogenji Temple 宗元寺石門
Sogenji Temple Stone Gate 宗元寺石門
Tomarinokuchi Duounchi Remains 泊ノ口殿内
Former Tomari Salt Farm 泊塩田之跡
Shinshu Miebashi Bridge Stela 新修美栄橋碑
Naha History Museum 那覇市歴史博物館
Naha Central Library 沖縄県立那覇中央図書館
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Sogenji Temple Stone Gate 宗元寺石門
崇元寺はかつて泊港から首里城にのびる道 (長虹堤) の途中にある臨済宗の寺院。住民からは「すーぎーじ」と呼ばれいた。王廟として用いられ、冊封使が諭祭を行なう場所。(諭祭とは亡くなった先王の功を評し、霊を慰める儀式。この諭祭の後に、新王を認める冊封の儀式が行われる。) かつて、冊封使は那覇の港に着いて、長虹堤を通過して崇元寺橋 (旧安里橋) を渡ると崇元寺に到着し、さらにここから2kmほど進み首里城の玄関守礼門から首里城に入った。建立時期は不明。尚巴志 (1422~39) によって建立されたとも、尚円王 (1469~76) が建立したとも推測されている。論議の決着はついていない。宗元寺の他に王廟は数カ所ある。円覚寺、天王寺、天界寺など。その中でも宗元寺は特別な存在で、琉球の伝説的な初代王舜天から歴代の琉球国王が祀られていた。円覚寺は、第二尚氏王統の廟で 、第二尚氏王統の歴代の国王だけが祀られている。天王寺は、王妃など第二尚氏王統の王家に連なるもの祀られている。天界寺は、子が王位についたものの、自身は王位につかなかったものを中心に祀っている。琉球では寺が少ないのだが、かなり古い時代から、仏教寺院があり、それが王廟になっていた事は初めて知った。琉球王朝は儒教中心かと思っていた。ただ、王家を祀っているのは日本の寺とは異なる。これは日本の神仏習合の影響か? それとも道教の影響か? また疑問が出てきた。(後日、沖縄県立博物館に質問票を提出しているのでいつか回答が来るだろう。)
石門が残っている。
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下馬碑は門の東西に嘉靖6年 (1527) に建立されたが、沖縄戦で西の碑は破壊されて、東だけが残っている。碑の表には「あんしもけすもくまにてむまからおれるへし(按司も下司も此所にて馬から降るべし)」とあり、裏には「但官員人等至此下馬」とある。
戦争で消滅する前の宗元寺の古写真。石門を入って階段を上って前堂 (第二門)とその内部 [写真上]、東庁 (国王控所) [中右]、西庁 (王妃控所) [右下]、神厨 [左下]、正廟 (本殿) [左中]
旧宗元寺橋 (旧安里橋)
Tomarinokuchi Duounchi Remains 泊ノ口殿内
沖縄に数多く点在する拝所の一つ。市内を走っていると、これと同じようなものに遭遇する。まだこの拝所の種類の違いや成り立ちについては全く知識がない。これから学んで行こうと思う。
Former Tomari Salt Farm 泊塩田之跡
梵字炉 (フンジロー) 跡とある。初めて目にした。1838年に、尚育王の冊封の為の明の冊封使に「文字は神聖なもの字紙を路上に捨てずに敬う」ことを勧められたとあるので、これも明文化の輸入品だ。文字の書かれた不用紙を焼くための炉。かつては村々に設置されていた。隣には泊塩田之跡の碑が建っている。ここは塩田だった。つまり海岸線だった。古い那覇は今とは地形が随分異なっていた。今は埋め立てられてここが海岸線だったとはわからない。
Shinshu Miebashi Bridge Stela 新修美栄橋碑
昔の那覇はいくつかの小島から成り、浮島と呼ばれていた。首里との交通の便が悪く、尚金福王は冊封使を迎えるため、1452 (景泰3) 年、安里からイベガマ (現松山1丁目付近) まで長虹提の海中道路を築かせた。安里から牧志の間に久茂地川に3つの橋が架けられ、美栄橋はそのひとつ。(昨日はもう一つの旧泉崎橋跡を訪れた) 沖縄戦で破壊された。
黄色の道が長虹堤で古い那覇と首里を結ぶ道だった。今は埋め立てられて遺構などは無い。長虹堤のルートを走り何か名残は無いかと探したが、残念ながら見つからなかった。右端の終点が先に訪れた宗元寺。
Naha History Museum 那覇市歴史博物館
那覇市役所の交差点にりうぼう経営のショッピングモールがありその四階に那覇市歴史博物館がある。展示されている内容は期待していた程ではなくがっかりしたのだが、インターネットのサイトは凄かった。保管している宝物や文化遺産、古文書、写真などが全てデジタルアーカイブになっていて解説付きで閲覧できる。博物内は撮影禁止だが、多くの展示物はこのデジタルアーカイブで後から見ることができる。それに那覇市の史跡、旧跡がかなり多く紹介されている。那覇市の観光案内所で用意しているパンフレットとは比較にならないほど多く掲載されている。最も観光客はあまりマイナーな史跡には行かないだろうが...。那覇は沖縄戦で殆どが破壊され、そのあと米軍の占領下でも破壊されて、史跡がそのまま残っているものは少ないが、跡地として多くの表示板が建っている。後世に歴史を残す為には良い事だ。那覇市の歴史に対しての姿勢には感心した。訪れている史跡、旧跡はこのサイトで調べて訪問を決めている。これがあって重宝している。下の写真はそのサイトから数点を拝借した。
Naha Central Library 沖縄県立那覇中央図書館
県庁前駅にあるショッピングモール、バスターミナルの2階から4階までが図書館になっている。最近、新しくなり移転してきた。この間は移転されているとは知らずに古い方に行ったが柵で囲われ中には入れず、守衛さんに聞くと移転したと言われた。その移転後の場所がここ。新しいので立派で綺麗だ。なによりもWifi一日10時間つかえ、サクサクストレスなく繋がる。自習室が何箇所もあり、多くの学生が勉強している。夏休みの受験追い込みなのだろう。高校時代を思い出した。(それほど勉強しなかった。三年生の時に初めてガールフレンドができ、夏休みは勉強と称して毎日図書館で隣同士で勉強したフリをしていた。)
沖縄に関する書籍も豊富でありがたい。