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『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』by多和田葉子

2019.08.17 00:11

それにしても、エクソフォニーという言葉は新鮮で、シンフォニーの一種のようにも思えるので気に入った。この世界にはいろいろな音楽が鳴っているが、自分を包んでいる母語の響きから、ちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか。それは冒険でもある。

「自分を包んでいる(縛っている)母語の外にどうやって出るか? 出たらどうなるか?」という創作の場からの好奇心に溢れた冒険的な発想が「エクソフォン文学」だとわたしは解釈した。p7


昔なら、数年ごとに住む場所を変えるような人間は、「どこにも場所がない」、「どこにも所属しない」、「流れ者」などと言われ、同情を呼び起こした。今の時代は、人間が移動している方が普通になってきた。どこにも居場所がないのではなく、どこへ行っても深く眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、どこへ行っても焦点をあわせられることのできる複眼を持つことの方が大切なのではないか。p32


言葉を小説のかけるような形で記憶するためには、倉庫に次々木箱を運び入れるように記憶するのではだめで、新しい単語が元々蓄積されているいろいろな単語と血管で繋がらないといけない。p35


わたしは境界を超えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、とも思った。だから、境界を実感できる躊躇いの瞬間に言葉そのもの以上に何か重要なものを感じる。p39


ケープタウンに着いた日に、コンコルドが墜落した。驚いたのはコンコルドが墜ちたことではなく、テレビをつけると、十一ヶ国語で次々と同じニュースを伝えていたことだ。見せる映像は同じだが、言葉の響きはそれぞれ全く違う。メディアの世界というのは、映像的には貧しいものだという意外な事実に気が付いた。映す映像はいつも同じで、変化に富んでいるのは言語だ。文化の多様性を背負っているのは言語なのだと実感した。p46