イベント御礼
本日もイリデセントのブログにお越しいただきましてありがとうございます☆
先日の有料イベントも無事に終了させていただきました。
戦争の癒しというテーマで行わせていただきました。
「争い」は、最初は些細なコミュニケーションから発生します。
相手の表現を受け入れない、という事から発生する。
それって、相手が自分の思うような型にハマらなければ排除する、支配する、というカタチなんですよね。
人間として生きているので、受け入れがたい事はたくさんありますが…
ただ、このイベントを通して、気づいた事は、
コミュニケーションの始まりは、愛であるということ。
そして、そのコミュニケーションをするべく、
私たちは、ただここにいる
ということ。
その事実以上でも以下でもない。
何ものでもなく、ただここに存在するだけ。
私も、人間であり、女性であり、母でありという事以前に、ただ、存在しているというだけで、それ以上を追求する必要はないのだと。
相手も、ただ、存在している。
そこに、存在しているという事を認識したら、尊重するだけでよい。
本来は、それだけで良いのだと感じました。
地球は豊かなので、愛情表現も豊かです。
それぞれの表現を、ただ、「在る」と受け入れ、それ以上でも以下でもない事実に気付けると、そこにある愛にも気付いていくことが可能なのだと思います。
在るものを、どうこうしようと思わなくて良いのですね。
自分がどうこう思われるかも本来は全く関係ない。
生きるということは、
ただ、認め、尊重する。
争ってまで自己主張する事ではないんです。
相手はただ、あなたの前に在る、ただの人です。
人以上でも人以下でもないんです。
また、人にどう思われるかを気にする事でもないのだと思います。
あなたは、この世にただ1人の人です。
比べる必要はない。
従う必要もありません。
ただ、お互いに存在してるだけ。
理解する必要もなく、
理解されようとする必要もありません。
納得する必要もない。
納得させる必要もありません。
理解すべきなのは、全ての行動の始まりは、愛のコミュニケーションであるという事。
全ての始まりは、愛を求めるコミュニケーションというべきでしょうか。
愛なんです。
ただ、その人の愛。
光ってなくて、歪んでいても、腐っていても、愛。
それを受け取って、そのために苦しんだり、悲しんだりしなくてもいいのです。
苦しくなったら、苦しい愛だね、と受け取るだけ。
それ以上でも以下でもない。
ただ、それは、そこにある愛だということ。
全てのものが、そこに居る、在るという事実が、素晴らしい。
相手の出方をどうこう非難するよりも、
ただ、自分がそこに在ることに集中する。
自分がそこに在ることに集中していくと、自分は何のために生きているのか、を自然に問うようになり、在ることの意味に、何かのカルマが引き寄せた出会いに、感謝しか出来ないようになるのだと。
このイベントに参加された方の中には、抵抗が強くて、身体がダルかったり、頭が痛かったり、無意味にイライラする方もいるようです。
その場合は、静かに瞑想の時間を取って、ハートの中心に移動してみてください。
本当の自分が、そこには居るはずです。
居るだけで素晴らしい自分が。
私も枠にはめ込む癖があり、そのせいで苦しかったり、先に進めない事も多くあります。
このイベントで、枠を取り去る重要性を知りました。
枠を取り去ることは、恐怖ではなく、自然なことだと知りました。
争いは、枠と枠のぶつかり合いでもあるのだと感じました。
枠に気付き争いをなくすことは、自分の世界の可能性を広げていけることにも繋がっていくのだと思います。
ありがとうございました。