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【社長通信】8月の記憶

2019.08.19 01:50


8月や 6日9日 15日   詠み人知らず  

「あれから何年」と記憶される8月である。

私が生まれたのは1945年3月で直接的には戦争の記憶はない。しかし、その年の8月に戦争が終わった。長ずるにしたがって、社会に目が向き8月がくる度に、あれから何年と自らの生きてきた年月と重ね合わせて戦後の日本の歩みを振り返ることが習慣になっている。 

冒頭の句はこの8月を象徴する日を表している。つまり6日は広島に原爆が投下された日で、9日には長崎へ2発目が投下された。15日正午、昭和天皇が終戦を宣言した。
つまり敗戦である。
人類史上初めて使用された原子爆弾は結果的に戦争を終わらせる効果があったといわれるが、その非人道性が問題となった。
科学の進歩とその使用に関する倫理がその後に生きる人類の最重要課題となった。戦後74年の今日においても人類は核の脅威から解放されていない。
人類は果たして進歩しているのかどうか・・・・ 

戦後74年と平和が続いているが、月日の経過とともに戦争体験者が少なくなるにつけ、人々から戦争の記憶が失われていく。
これは自然の摂理かもしれないが、しかし、今日のグローバル化した世界において、世界のリーダーといわれる人たちが自国ファーストに陥り、寛容さを失う現状にキナ臭さを感じる。歴史に学ぶことの意義を再認識させられる。 


私にとっての戦争は間接的である。

私が物心ついたころ、家には両親と兄弟8人が一つ屋根の下で 暮らしていた。盆や正月には遠くから叔父や叔母、 従兄もやって来て賑やかであった。モノ不足のなか少ないおやつを奪い合ってはケンカもした。
そんな中で戦争というものをはじめて意識したのは、蝉の鳴く頃隣家の開けっ放しの縁側から目にした額に入った写真を見た時だった。
その写真の軍服姿の胸にはいくつもの勲章がついていた。 
また、小学校の頃、PTAなどの会合に母親だけが参加する、父親のいない同級生が4、5人はいた。さらに祖父・母、妹と4人で暮らしている親しい友達がいた。そのときは何とも思わずに仲良く遊んでいたが、今になってそうだったのかと改めて思い出す。 

8月はどうしてもお盆ということもあって先祖をはじめ亡き人々を思い出す。74年も生きていると学校時代と社会に出てからのそれぞれの年代におけるとりとめのない事が断片的に、ごっちゃになって思い出される。苦しいこと、辛いことも多いが、将来を見通して考え、思索する時が一番充実しているように思う。
今やるべきこと、やりたいことに思いをはせ全力を尽くす、これが日々の生き甲斐であり、喜びでもある。 

7月末の梅雨明け以降、連日の猛暑に見舞われた8月初旬でしたがトラブルもなくなんとかのり切ってこられた。これも「一味同心」それぞれの暑さ対策が奏功したものと嬉しく思う、と同時に「自らの命は自ら守る」という意識を引き続き徹底していただきたい。 

風と共に去りぬ、ではないが台風10号とともに猛暑も去ってほしいものだ。 
代表取締役 加藤慶昭
(令和元年8月16日記す)