キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

春の嵐11-父教皇病死!チェーザレ失脚

2019.08.20 03:22

チェーザレの反乱鎮圧は、ダ・ヴィンチの親友も巻き添えにしてしまい、1503年初めにはフィレンツェに戻った。ダ・ヴィンチは、イーモラとヴァルデキアーナのまるで航空写真のような詳細な地図を作成し、戦略をサポートしたが、実際的にはアドバイザーだったようだ。

チェーザレは転戦に継ぐ転戦で、ダ・ヴィンチと話し合う暇はなかったろうし、事件も連続して起こった。そしてダ・ヴィンチとくれば、実際の戦争を見て「愚劣だ」と思った、それがルネサンス知識人である。なおゲーム「アサシンクリード」では、ダ・ヴィンチのつくった戦車などに乗れる。

チェーザレは、いよいよフランス王と対立してしまい、ここでスペインに乗り換える決断をしたようだ。実際ナポリでフランスは劣勢に陥っていた。しかし8月、ローマを襲ったマラリアに父教皇と共に罹ってしまい、父教皇が亡くなる。本人も続いてその病に倒れた。

そしてすべては逆転した。反ボルジア同盟ができ、枢機卿団は、新教皇を選出するコンクラーベの間、ローマ退去を命じた。新教皇ピオ3世は反ボルジアではなかったが、ヴェネツィアらが、金で教皇軍の傭兵を引き抜く。なんとピオ3世は29日で亡くなり、ライバルのユリウス2世が教皇となった。

下はゲーム中のダ・ヴィンチ戦車ですがどうみても人力じゃ無理