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ZIPANG-3 TOKIO 2020 日本遺産・特別史跡 旧閑谷学校「岡山藩主池田光政が創設した日本初の庶民のための学校とは」

2019.08.22 14:55

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


旧閑谷学校とは

寛文十年(1670)、岡山藩主池田光政は日本ではじめてとなる「庶民のための学校」を創建しました。その谷深き地の学校は閑谷学校と名付けられ、明治、大正、昭和とさまざまな分野で、現在の日本の歴史をかたち作る有能なリーダー達を輩出してきました。 「庶民教育の殿堂」としてその後、その思いは、340 年経った今も、現存しています。


講堂の天井です。一般的な竿縁天井(さおぶちてんじょう)のように見えますが、よく見ると竿縁の形状が下にいくに従い細くなるように加工しています。このような竿縁を猿頬縁(さるぼおぶち)といい、それを用いた天井を猿頬縁天井といいます。普通の竿縁天井より上等とされています。


旧閑谷学校の概要

特別史跡 旧閑谷学校とは?

近代化の原動力となった「日本遺産第一号」に認定の旧閑谷学校

閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。初めて閑谷の地に来観した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのです。この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は、約30年かけて、元禄14年(1701)に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させました。


平成27年(2015)4月には「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、史跡咸宜園跡などとともに最初の日本遺産に認定されました。学ぶ心・礼節を重んじた近世の教育が、近代化の原動力となり、現代にも受け継がれていることが認められたのです。開校以来、講堂の床に正座して論語を学ぶ姿は旧閑谷学校の伝統です。今日もここに学ぶ研修生の論語を朗誦する声がこの谷に響いています。


史跡各所案内


1.重要文化財 校門(こうもん)


屋根は備前焼の本瓦葺き、棟に鯱を載せた正門。 廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもある。 中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで鶴鳴門ともよばれる。 両脇に花頭窓のある付属屋を付けるなど中国の建築様式を模しており、貞享三年(1686)の造営である。


2.重要文化財 閑谷神社(しずたにじんじゃ)


創始者、池田光政を祀る神社。 閑谷学校の創始者、池田光政を祀っています。 もとは「東御堂」、または光政の謚をとって「芳烈祠」と呼ばれていました。 本殿内には御神体として光政の座像が安置されています。


3.重要文化財 聖廟(せいびょう)


儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設。 孔子廟、西御堂とも呼ばれ、最も重要な施設として中央の一番高い所に配されています。 奥の大成殿には孔子像が安置され、毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われます。


4.孔子像(こうしぞう)


金色に輝く、京都の名工による金銅像。 この孔子像は、朱子学者・中村惕斎に委託して、京都の名工が鋳造した「金銅像」です。 孔子像は椅子に腰掛けたもので高さは90cm、朱塗りの八角形の聖龕(せいがん)に安置されています。 毎年1月4日の「読初の儀」、10月第4土曜日の「釈菜」など年に数日のみ特別公開されています。


5.重要文化財 繋牲石(けいせいせき)

孔子を祀る釈奠(せきてん)に供える「いけにえ」の生き物をつなぐ石柱である。 閑谷学校では蔬菜を中心とした釈菜(せきさい)を行うので、形式的に配置しているだけである。


6.楷の木(かいのき)


四季を通して情緒豊かな「学問の木」。 聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本です。 紅葉の季節には美しく色づく楷の木を見ることができます。


7.重要文化財 【国宝】 講堂(こうどう)


「学問の殿堂」、旧閑谷学校を代表する国宝。 講堂は入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火灯窓が壮重な独特の外観を形作っています。 創建当時は「茅葺き」でしたが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられました。 内部は十本の欅の丸柱で支えた内室と、その四方を囲む入側とで成されています。 また、拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれており、火灯窓から入る光をやわらかく反射させています。


8.重要文化財 小斎(しょうさい)


藩主が臨学の際に使用する、御成の間。 屋根はこけら葺きで簡素な数寄屋風に作られています。 現存する建造物の中では、最も古い姿を残しています。


9.重要文化財 習芸斎(しゅうげいさい)


農民たちも学んだ、教室として使われた施設。 毎月三と八の付く日は「五経」と「小学」、朔日(ついたち)には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われました。


10.重要文化財 飲室(いんしつ)


教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室。 中央の炉のふちには「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていました。


11.重要文化財 文庫(ぶんこ)

閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫で、中央の階段を上がった左右の床に八千点余が所蔵されていた。 漆喰塗で固めた上を瓦葺きにした置屋根式で、前室には三重の土の戸を含む六層の戸が設けられている。


12.重要文化財 公門(こうもん)

藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう。 本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根をのせる薬医門様式の建物で、石塀が築かれた元禄十四年(1701)の時点で設置された。


13.重要文化財 飲室門(いんしつもん)

日通いの生徒や、毎月朔日(ついたち)の朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門であった。


14.火除山(ひよけやま)

この山の西側に学舎や学房(寄宿舎)などがあり、そこからの出火が講堂などに及ばないようにするため、防火の目的でつくられた人工の山である。


15.重要文化財 石塀(せきへい)


300年を経て今も整然たる姿をたたえる。 学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、備前焼瓦と並んで、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。


16.有形文化財 資料館(しりょうかん)


明治38年の姿が残る、校舎を利用した資料館。 明治38年(1905)、学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建設されました。 現在はその本館部分を資料館として公開し、旧閑谷学校の貴重な資料が展示 されています。


17.西薇山(にしびざん)先生顕彰碑

西薇山(本名毅一)に組織された閑谷保黌会の中心となって閑谷学校の再興をはかり、同十七年教頭(翌年黌長)として家族とともに閑谷に移り住み、その半生を閑谷黌教育にささげた。 この顕彰碑は、薇山の教えを慕う教え子たちによって大正十四年に建てられた。


18.特別史跡旧閑谷学校 椿山(つばきやま)


守護の願いが込められた、神々しい雰囲気の椿たち。 椿山には約400本近いヤブツバキが植えられています。 奥には池田光政の髪・爪・歯などを納めた供養塚「御納所」もあります。


19.御納所(ごなっしょ)

閑谷学校の創始者である岡山藩主池田光政の髪、髭、爪、歯を納めた供養塚である。


20.泮池(はんち)

中国上代の諸候の学校である頖宮(はんきゅう)の制に擬してつくられたものである。 半円形の池がつくられるのが普通であるが、閑谷学校の場合は、幅七M、長さ八十Mを超える長方形である。 石橋は国の重要文化財に指定されている。


21.旧閑谷学校 津田永忠(つだながただ)宅跡

池田光政の命を受けて閑谷学校を創建した津田永忠の屋敷跡である。 永忠は光政没後も綱政に郡代として登用され閑谷学校を現存する姿に完成させるとともに各地で多くの土木事業を完成させた。 晩年は現在の和気町奴久谷に隠棲した。


22.特別史跡旧閑谷学校 黄葉亭(こうようてい)


生徒から儒者、文人までが茶を楽しんだ憩いの場。 文化10年(1813)に来客の接待や教職員・生徒の憩いの茶室として建てられました。 頼山陽や菅茶山など儒者や文人を迎え親交を結ぶ場としても使用されました。


沿革

寛文 6年 (1666) 岡山藩主池田光政が和気郡木谷村延原を視察した。

寛文 8年 (1668) 池田光政が領内に123か所の手習所を設置した。

寛文10年 (1670) 岡山藩主池田光政が津田永忠に命じ閑谷学校を創立

寛文12年 (1672) 学房・飲室が建てられた。

延宝元年 (1673) 講堂(旧)が完成し、池田光政が視察した。

翌年、聖堂(旧)が完成した。 延宝 3年 (1675) 藩の手習所が廃止され、閑谷に統合された。

貞享元年 (1684) 新聖堂が完成した。

貞享 3年 (1686) 芳烈祠(現在の閑谷神社)完成。初めて釈菜が行われた。

元禄14年 (1701)  現在目にする閑谷学校の全容が整う。

元禄15年 (1702) 御納所・椿山が造られ、光政の髪・爪が納められた。

明治 3年 (1870)  藩政改革により閑谷学校を閉鎖、岡山学校に合併

明治 6年 (1873)  山田方谷の発意により閑谷学校(閑谷精舎)再興

明治17年 (1884)  西薇山らにより閑谷黌(コウ)を再興

明治38年 (1905) 新校舎落成(現資料館)

大正10年 (1921)  県営移管により岡山県閑谷中学校と改称

昭和40年 (1965)  岡山県立和気高等学校を岡山県立和気閑谷高等学校に改称 岡山県青少年教育センター閑谷学校開設

平成 7年 (1995)  資料館開館(明治38 年建築:私立閑谷中学校本館)

平成18年 (2006)  財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会が指定管理者に指定

平成24年 (2012)  公益財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 設立



9月7日閑谷論語塾を開催します

閑谷論語塾を9月7日(13:30~14:30)に開催します。
参加費は大人が810円、子供小中学生が510円、65歳以上が610円(いずれも入場料込)です。
国宝の講堂の中に入れる貴重な体験でもあります。ふるってご参加下さい。


お問い合わせ

 特別史跡旧閑谷学校 〒705-0036 岡山県備前市閑谷784
【保存会事務局】TEL:0869-67-9900 
【史跡受付】TEL:0869-67-1436
Mail:hozonkai@shizutani.jp    



この後も、全国の日本遺産を順不同にてご紹介してまいりたいと思っております。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



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