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もぐもち/片手でお料理

六年ちょっと。時間が経ったから振り返れること。

2019.08.23 14:25

鋼のように強いメンタルを持っていた私ですが、動かない身体でベッドに横たわり天井だけを見つめる病室での夜、とても冷静に「死んでしまった方が夫は幸せだったなぁ」などと考えることもありました。

その時、夫はとても悲しむかもしれないけれど、妻を亡くした彼は周囲からやさしくされただろう。その中から新しいパートナーが見つかるかもしれない。きっとその人は私よりずっと良い奥さんになるだろう…

私が生き残ったことで、彼に介護を強いてしまう…


夫は今についても未来についても何も言わず、ただ入院中は毎日見舞いに訪れました。

けれど彼は私のリハビリの様子を頑なに見学しませんでした。

私が声をかけても「また今度」と病室の椅子に座ったまま。

私は彼の真意を測りかねていました。


脳出血を起こすまでの我が家は、私が家の中のすべてを取り仕切り決定権を持っていました。

病室で動けない私は、入院中の家の中のあれこれをすべて夫に任せることが不安でたまりませんでした。でも、任せるしかない。手を出すことができないから口を出すこともやめよう。

黙って任せていたつもりでも、私の不安は彼に伝わりプレッシャーになっているだろうと感じていました。

そしてそれより気になったのは、彼が私のオマケだと感じていないだろうか、ということでした。

「もっちはどうした」「もっちは大丈夫か」「もっちに逢いに行くよ」「もっちによろしく」

彼自身、”妻が脳出血で倒れた”という大変な立場なのに、周囲の人たちの私を心配する声が彼を追い詰めていないか心配でした。

けれど、彼の心を一番傷つけていたのはそんな私の心配でした。


真意を測りかねたままだった、退院後のある日。小さなきっかけでそれまで考えていたことがポロポロと私の口からこぼれました。

「大きなプレッシャーをかけていて申し訳ない。病気のこととか関係ない。もう私のことが好きじゃないなら、私のことが要らないなら、捨ててほしい」


「バカにするな。そんなに俺は頼りないか。そんなに俺は信じられないか」

脳出血後最初の夫婦喧嘩でした。



私は私自身の幸せを全く考えていませんでした。

私が夫に幸せになってほしいと願っているように、夫も私に幸せになってほしいと考えていたに違いなかったのに。


一緒に幸せになろう。

一緒に生きていこう。

そんな簡単なことも見えなくなっていました。


こっそり告白すると、実は私、退院して初めて夫婦喧嘩をして、少し嬉しかったんですよね。

あぁ、対等に話してもらえてる。”かわいそうな妻”から、ただの”妻”に戻った!そんな風に感じたんです。

脳出血によって新しいボディバランスになった私にはすべてのことが初体験。同じように、夫にとってもすべてが初体験だったんですよね。

二人とも初心者なんだから一気にベテランみたいにうまくやれるはずがない。

経験を重ねて、時間を重ねて、ゆっくり新しい関係ができていくんですね。


六年ちょっと経って。

病気には、ならない方がいい。

事故には、あわない方がいい。

けれど、私は倒れる前の夫婦関係より今のほうがずっと心地よく、幸せに感じてます。

夫もまた、今の二人を気に入ってるようで、以前よりずっと自由に笑っています。