Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ゆとりらYOGA

「ゲッベルスと私」(読書感想)

2019.08.23 03:27

「なにも知らなかった。私に罪はない」

ヒトラーの右腕としてナチ体制を牽引したヨーゼフ・ゲッベルスの103歳の元秘書が、69年の時をへて当時を回想する。

ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼル。ヒトラーの権力掌握からまもなくナチ党員となったが、それは国営放送局での職を得るための手段にすぎなかった。ポムゼルは、「政治には無関心だった」と語り、ナチスの所業への関与を否定し、一貫して「私はなにも知らなかった」と主張する。
解説を執筆したジャーナリストは、このような一般市民の無関心にこそ危うさがあると、ナショナリズムとポピュリズムが台頭する現代社会へ警鐘を鳴らす。子ども時代から始まるポムゼルの回想は、30時間におよぶインタビューをもとに書き起こされ、全体主義下のドイツを生きた人々の姿を浮かびあがらせる。
書籍版では、映画では語られなかった事実も明かされている。
(AMAZON内容紹介より)


これ、同名の映画が去年の今頃公開になりまして。
モノクロで、ほぼ、このブルンヒルデ・ポムゼルさんのアップと、当時のナチスの記録映像のみで構成されていました。
同時期に紀伊国屋書店から出ていた書籍版の方を最近読みました。

映画もたいがい衝撃的だったんですけど…活字だと更にくる感じ…

なんだろう。
突っ込みたいけど突っ込み切れないというか、証言当時103歳という年齢で総括がこれ?というか、いやこれだからこその長寿なの?とか。


誰も私たちのことを信じてくれない。みんな、私たちがすべてを知っていたはずだと思っている。でも、私たちは何も知らなかった。すべてはしっかりと隠されたまま、進行していた。
(P65「ヒトラーはともかく、新しかった」国営放送局へ)

今日だって、人々はシリア難民のことを四六時中考えてはいない。故郷を追われて、海で溺れていく気の毒な人たとのことを、ずっと考えているわけではないでしょう?
(P85「少しだけエリートな世界」国民啓蒙宣伝省に入る)

 人々は多くを知りたいとは、まるで思っていなかった。むしろ、不用意に多くを背負い込みたくないと思っていた。
(P86「少しだけエリートな世界」国民啓蒙宣伝省に入る)

 私は思うの。人生の中で多くの過ちを犯したけれど、そのときは深く考えていなかった。私は何かに属していて、責任感はいつもとても強かった。仕事はきっちりと正確にやっていたから、人からは信頼されていた。何か場を与えられれば、きちんと仕事をこなした。それが昔から、私の生き方だった。その仕事が良いものだろうと悪いものだろうと。放送局で働こうが宣伝省で働こうが、私にとっては同じだった。それはどうでもいいことだった。(P136「破滅まで、忠誠を」宣伝省最後の日々)

↑これにはドキッとしました…現代にもこういう人多いんじゃないでしょうか。ひょっとしたら私もこういう側面があるかもしれない、こうはありたくないと思っているけど。
しっかりしていて仕事が速い。でも、なぜ何のために、誰のためにそれをするのか、ということに心を馳せない。という人。
命じられたから、引き継いだから、それが慣習だから…という思考に慣れてしまうことの恐ろしさ。
だけど慣れると楽ちんなんだよね~そこでいちいち、これってどういうことですか?とか言うとメンドくさいやつって思われるし。
ましてや戦時下はそういう疑問を持つことが命を失うことにも繋がっただろうから、自分が生きていくだけで必死、っていうのは大多数の人に当てはまったんだろうとは思います。

だけど仕事を(というかすべての行動を)カルマ・ヨーガと捉える、という思考が心の片隅にでもあれば、どこかで黄色信号に気づくんじゃないかと。
この人は信号が真っ赤っかになっても、何も知らない、見えてなかった、って言ってる。

これはYOGAを知っているか否かじゃなくて、人間としての使命感とか良心の問題。


  もちろん、愚かだったという点では私にも罪はある。でも、望んで愚かになる人などいない。
(P152「私たちは何も知らなかった」抑留と、新たな出発)

 自身の罪についての永遠の問いに対しては、私は早い時期に答えを出した。私には、何も罪はない。かけらも罪はない。だって、なんの罪があるというの?いいえ、私は自分に罪があるとは思わないわ。あの政権の実現に加担したという意味で、すべてのドイツ国民に咎(とが)があるというのなら、話は別よ。そういう意味では、私も含めみなに罪があった。(P166「私たちに罪はない」一〇三歳の総括)


この方は、自分の当時の生き方をこういう風に結論づけている。
そのことを疑問に思う反面、無理やりにでもこう思わないと、その後の人生、生きてはいけなかったんじゃないか、とも想像する。

この本を読んでいると、彼女が本当に悔いているのは、ナチスの中核で働いていたことでも、ユダヤ人を助けなかったことでもなく、職場から実家に逃げるチャンスがあったのに、また職場に戻ったこと。
そのせいでドイツ降伏の後、ソ連兵に拘束され、戦後5年間収容所に入ることになった…仕事に対する歪んだモチベーションのせいだと思うけど、当時の彼女にとって、宣伝省のタイピストという仕事は、戦時中に自分の価値を見出す大事なアイデンティティだったのかと思います。

共著者のトーレ・D.ハンゼンはこう断じています。

倫理的には、見ないふりをすることだけでも罪である。なぜなら「生」とはつねに「共生」を意味するからだ。
(P187 ゲッペルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるか)

 
ポムゼルが私たちにとって興味深いのは、彼女がいろいろなことを気づかせてくれるからだ。それは私たち自身の姿や、私たちの不安や、傲慢さであり、血を流してようやくかちとってきた自由をないがしろにし、グローバリゼーションの時代の「脱連帯」と非人間化のメカニズムを正視しない態度である。
(P204 ゲッペルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるか)

彼女の頑なな思考と態度は、今の不穏な時代に生きる私たちに物凄く沢山のことを教えてくれるように思います。とても逆説的にではあるけれど。

奇しくも、昨日UPしたドクメンタリー映画「99歳 母と暮らせば」の谷光千江子お母さんは現在101歳。
調べたらポムゼルさんの7歳下だけど、当時の同盟国でほぼ同じ時代を生きてる。
どっちがどうなんて比べられるものではない。
けれども、人生から(神様から)の愛され方の大きな違い、みたいなものを感じます。


映画のブルンヒルデ・ポムゼル。このモノクロのビジュアル、深く刻まれた皺とは対照的に、信じられないくらい口調が若い。きっと頭もしっかりしているのだと思う。

だからこういう言葉がはっきりと出てくることに震撼する…