今も戦争を生きる彼らと、終戦74年に平和を祈る我ら。
8月も最終週になった。
あっという間にお盆休みも終わり、季節が移り変わって、
急に涼しくなってきた。
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毎年、8月になると、
特に8月6日の広島原爆の日から15日の終戦記念日までの間は
戦争のことを考える。
戦争に関する本を読んだりドキュメンタリーや映画を見て、
また、戦争経験のある祖父のことを思い出す。
宮城から戦地に向かい、
シベリアに抑留され、
引き揚げ後は居場所を無くして、
関東に出て魚河岸から牛乳配達から、
身一つで成り上がった祖父。
「足に鉄砲玉入ってるんだ」
「犬(呼ばれてたから)と蟹(ご馳走)ってロシア語は覚えた。」
断片的に聞いた祖父の戦争の話が、
子供の頃の私にはよく意味がわかっていなかった。
毎年、この時期にセミが鳴く太陽の下を歩きながら、
亡き祖父が生きぬいた時代に想いを馳せる。
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今年見たものの一つが、
NHKの「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」。
映像の力はすごい。
当事者が言葉に詰まって涙したり、
伏し目がちにポツポツと真実を語ったりする姿は、
本を読んで史実を知り考えるということとも
全く違う生身の戦争を思い知らせてくれる。
生前、祖父の話を、もっと聞いておけばよかった。
今になってそう思う私にとって、
こういった、当事者の話を拾い伝えてくれる
報道関係者には感謝しかない。
NHKの戦争証言のアーカイブはすごい資産だと思う。
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戦争で命を落とし、
飢餓に苦しみ、
尊厳を傷つけられ苦しい思いをし、
大切な人を失うのは、
一般の庶民である。
為政者の無策、
組織の論理、
軍部の暴走と法の不備、
メディアの扇動、
教育のあり方、
国際情勢の流れ、、、
あらゆる要因があったとして、
どんなことがあっても2度と、
2度と戦争が起きないように。
上皇陛下が
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
そう言った心のうち、
その言葉の重さを噛みしめる。
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終戦から74年経った今、
日本において、
戦争は過去のものになりつつある。
しかし、アメリカにいた時、
アメリカ人は、
今も、犠牲を伴う「戦争のある世界」の中で
生きていることを実感させられた。
現在約130万人が任務に当たる軍人を持つアメリカ。
ケネディ・スクールにも軍出身・軍在籍の学生も多くおり、
アメリカ人の同級生では沖縄等に駐留していた経験がある人も何にもいたし、
また、中東など戦地を経験している人も多い。
私と同じように授業のアレコレに一喜一憂し、
休み時間にはスタバのコーヒーを飲み、
普段通りの生活をしているように見えながら、
私と同じように数学の授業を受けている同級生H君はアフガニスタンで足を失っていたし、
私と同じように赤ちゃんを育てている同級生Lちゃんは弟を失っている。
日米同盟の話題になった時、ある教授から、
「自ら血を流さない日本を守るために、
アメリカ人の若者の血が流れることを許せるのか、
という議論は、ワシントンでは非常に重い議論だ。」
と言われたことがある。
「若者の血」とは、
まさに足を失った彼であり、弟を失った彼女だ。
国のために命をかけている軍人は、最大限の尊敬をもって迎えられる。
アメリカでは、今も戦争のある世界は、過去ではない。
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世界情勢が動く中で、
昨今、
憲法改正の議論を進めることに
一定の理解を示す人は多い。
(時事通信の7月の世論調査:選挙後に議論を進めることに「賛成」は41.2%で、「反対」の26.3%を上回った。ただ、「どちらとも言えない・分からない」が32.6%と一定の割合を占めた。)
戦争の記憶から、
「平和憲法」こそが大事だ、と
議論そのものを拒否する人々もいるが、
「為政者を縛る」ものである憲法について議論することは、
国民が自らの手で国を守る手段をアップデートすることに他ならない。
今のままで平和だから、このまま平和でいれる。
無条件に現行憲法を「安全神話」と捉えることは、
情報を冷静に分析せずに精神論に陥った、
日本を戦争に導いた思考そのものだと思う。
平和を守るために、2度と戦争をしないために、
何が最善なのか。
常に考え、議論すべきだ。
そう思うのだ。
〆