出口王仁三郎<国教樹立に就いて> 1918年 神霊界より PART①
皇道すなわち大本教は、天地初発より日本国に因縁し、先天的に密合して離るる事の出来ない根本の教義であります。神国日本の歴史的事実が帝国憲法の明文に示された、信教の自由たらしめたのは何故であろうか。我国は天壌無窮に皇運の弥栄える国柄でありますから、2千年や3千年の歴史的事実を見て確固不変の論拠とするのは大なる誤謬であろうと思われます。天壌無窮とは、将来の無窮を言うのは勿論であるが、無終は無始に対応して起るべき事実であって、無始の因無くては無終の菓は無いのであります。夏の虫は冬の白雪を知らずに、世の中は永遠無窮に熱いものと思っているのと同じように、日本書紀に<天祖天下りたまいてより、このかたいまに179万2470余歳を経たり>と載せて在る事すら、現今の学者は説明に窮して、半ば懐疑的の眼を以て見ているという有様である。日本神国の宏遠なる意義を語る事は不可能であると云わねば成らぬ。日本神国の真実義を聴かんとするものは、天壌無窮の立脚地に立つだけの資格のある者でなければ成らない。皇宗崇神天皇以降2千歳の慣用的和光同塵の時代は、日本国教の寛容時代であって、国家本来の偉大なる包容性を示された、事実的立証と成る迄の事であります。
この寛容時代は、太古、国祖国常立尊が艮へ退隠遊ばれたる時に始まり、世界未製品時代の趨勢として、万止むを得ざる次第であった。くだって、人皇十代、崇神天皇の御宇に至って、弥々、三種の神器の大権威を深く韜藏遊ばされ、広く世界の文物に自由自在の発展を為さしめ、幾多の文明を変遷せしめて、漸次に極東日本の神州に、その文明の一切を輸入せしめられたが、従来、幾多の文明も一として最後の平和を樹立する事無く、自由発展の結末が却って惨劇を世上に繫からしめ、不安激烈の大修羅場を現出し、弱肉強食の堕落にまで到達し、人間悉く痛苦を病む現代に当って、退隠遊ばれし国祖を出現せしめ給い、かつ2千歳の間、深く韜蔵せられたる三種の神器の発動を促し給い、天地神明の陵威八紘に充ちて、忽ち松の世の春光の来るの感あらしめん、皇祖の御聖慮に出でさせ給うたのであります。