ダブリン生活 🇮🇪
心温まる報告がありました!
ダブリン留学時の同級生が結婚しました!
今から5年前に2人と出会い、
一緒に通学してました。
クラスが一緒でいつも仲良くしてもらって、
放課後のアクティビティにも出ていました。
上の写真はダイナソー博物館に行った時のもので、
当時はセルカ棒が流行ってました。
2人はブラジル出身で
リオデジャネイロで挙式を挙げました。
ダブリンには3年住んだのち帰国しました。
2人はロナウジーニョが大嫌いで議論になりました笑
ちょっとダブリン生活を振り返ってみようと思います。
振り返るの遅いっすね。
僕が住んでいたのは、首都ダブリンから20分離れた田舎で
キルバラックという地域でした。
最寄りの駅がこんな感じであまり人気がなく、
駅員さんは1人しか常駐していません。
上が英語で下がアイリッシュ語。
現地の英語は本当に早口に聞こえるぐらいのスピードで
容赦がありませんでした。英国だとゆっくり丁寧に話してくれますが、
アイリッシュは合わせて話してくれませんでした。
スパルタのおばあちゃんとデンマークの役人さんと3人暮らしでした。
2人の英語が半端なく早くて、しかもネイティブだったので
来て1日で心が折れました。何回も聞き返したり、聞き直されたり、、、、。
特にthの発音を怒られました!
結局最後まで何回やっても正しい音は出ませんでした。
そんなメンタルやられた僕を救ってくれたのが、
ミスティというおばあちゃんの愛犬です。
学校から帰るといつも一緒にいました。[今思えばメンタル弱いし、きもいな]
だいたい、おばあちゃんとミスティと散歩に行ってました。
よく遊んだパークが家の前にあります。
2月はほとんど晴れないので
曇りだったり雨で天気がどんよりしています。
この写真をとったのは、奇跡的に晴れたからです。
2、3月はほとんど晴れないし、寒いし、、、
朝7時前には家を出るので凍えながら通学してました。
おばあちゃんと家を出るときもあれば、
近所のおじいちゃんと一緒にダブリン駅まで行きました。
通学中におじいちゃんとたくさん話ができるので
そこで習った英語を披露してました。今でもなぜ仲良くしてくれたかはわかりませんが。
学校のある通りです。
サブウェイのサンドイッチ片手に歩くのが憧れだったので
何回かやってやりました。
コーヒー片手にそれっぽいこともやりました。
孫を学校に送るおばあちゃん。
週末になると孫と娘夫婦が帰って来ます。
よくベビーシッターをやらされ、
子供に英語を教えてもらいました。
「タカは英語を勉強中だから優しい英語を使いなさい!」
とおばあちゃんが孫に行った言葉は
今でも忘れないくらい悔しい思い出です。
家にいるときは、できる限り英語を話したかったので
おばあちゃんとミスティとリビングで時間を過ごしました。
だからこの僕の部屋は寝るとき以外はほとんど使いませんでした。
汚い。
それでも暖炉のある家だったので
めちゃくちゃ家の中が暖かくて薄着で過ごせたので快適でした。
田舎だったので、
2駅進むと海があります。
結構イキって1人で行動してました。
整った自然で日本では見れないような風景ばかりで大好きでした。
晴れないのがなんとも言えませんが。
ヨーロッパの田舎で
英語を学べて本当にラッキーでした。
クラスメイトは欧米から南米まで
これまで知り合ったことのない人ばかり。
日本人はクラスに1人の時もありました。
結構孤独でしんどかったけど、
逆に英語を話す機会しかなくてよかったです。
ホームステイでおばあちゃんと暮らしたわけだけど、
それはリクエストしてました。
当時はヨーロッパの田舎でのんびりと老夫婦と暮らしたいな
という願望があり叶えてもらいました。おばあちゃんこだったから??
特に何か派手な暮らしがあるわけではないけど、
家族が集まって共に時間を過ごすだけで幸せなんだと感じました。
厳しくも愛を持って接してくれたジョアンおばあちゃんに感謝です。
今行ったら覚えてくれているかな〜?
そして、結婚おめでとう!! Luchiano&Carla