大航海時代19-ガマのカリカット砲撃
2019.08.28 01:50
カブラル艦隊が帰国の後、ポルトガル王マヌエル1世は悩むが、結局イスラムの武力封鎖を決断した。インド洋から紅海まで、イスラム迎撃のアメリカ第五艦隊じゃなかった、回遊する艦隊も含めて派遣することを決定した。その決定にカブラルが反対したもので、おはちはまたヴァスコ・ダ・ガマに回ってきた。
1502年2月に艦隊は出発したが、今度は「力ありき」である。アフリカ東海岸のキルワに到着するや、街を砲撃し、現地王を屈服させて、ポルトガルに金の支払いを約束させて植民地にしてしまった。インド洋に到着しても、前回「敵対」したカリカットの船は拿捕したり、沈めたりした。
カリカットは、イスラム商人を追放せよという強引な要求に回答せず、結局ガマは街を砲撃した。また伯父ヴィンセント・ソードレの艦隊に命じて港湾封鎖を実施した。この強硬な封鎖は命がけの反攻を呼び起こし、ガマの艦隊は撤退せざるを得なくなった。
コチンとカナノールは友好的に迎えられ、ここで胡椒や香料の値段を取り決め、ポルトガル商館を設置した。そして伯父ソードレを残し、イスラム商人取り締りの周回を常時行うことにした。ガマの第二回航海はその後の、西洋の武力強圧路線の開始を告げるものであった。