Okinawa 沖縄の旅 Day 28 (29/08/19) Shuri Castle Ruins (2) 首里城 その2
Takaraguchi Hija 宝口樋川
Shuri Castle Ruins 首里城
- Una 御庭
- Hokuden 北殿
- Nanden/Bandokoro 南殿・番所
- Seiden 正殿
- Shoin & Sasunoma 書院・鎖之間
- Kinju Tsumesho 近習詰所
- Kugani Udun 黄金御殿
- Saeki Mon Gate 左掖門
- Usasuka 御差床 (2階)
- Usasuka 御差床 (1階)
- Kushi Nu Una 後之御庭
- Yuinchi 寄満
- Yosoeden 世添殿
- Hohokoriden 世誇殿
- Nyokan Kyoshitu 女官居室
- Chrysanthemum Field 菊畑/小菊畑
- Well-shaped Water Reservoir Remains 井戸状貯水遺構
- Yuya (Bath Room) 湯屋
- Ouchibara Mamono-uchi Utaki 御内原のマモノ内御嶽
- Hakugin Mon Gate & Shimbyoden Remains 白銀門/寝廟殿跡
- Agari No Azana 東のアザナ
昨日は、無料地区をゆっくりと、そして、じっくりとまわった。今日は首里城の核となる正殿地区を見学する。首里地区は標高130m〜160mの高台にあり、出発地点は標高25m。100m程登る事になる。比較的急な坂が多いのだが、それぞれの坂の距離はそれほどで無いので、何とか凌げている。首里城に向かう途中に昔から使っている井戸があるので立ち寄ってみる。
Takaraguchi Hija 宝口樋川
宝口と言うところにある。急な坂道を登り、また急な坂道を下った所にあるので、自転車を坂の上に停めて徒歩にて目的地に行く。
ちょうど樋川への降り口に紙漉所跡があった。
ここを下ると宝口樋川。水場のはポリタンクに水を汲んでいる。まだ使っているのだろうか? 水が勢いよく溢れ出している。湧き水だそうだ。立派な水場。その水はそこを流れている川に流れる。この川も水量が多い、小さな滝になっていて、この暑い夏でもここだけは日陰とこの水で涼しく感じる。
昨日は守礼門方面から始めたが、今日は別ルートで周ってみることにした。ゆいレールの首里駅に自転車を停めて、徒歩で上の毛と呼ばれる首里城の中で聖地と考えられている公園を通り、城壁に沿って行く。
Shuri Castle Ruins 首里城
正殿への入り口の奉神門に着き、隣にある広福門にある入場券売り場でお金を払って、正殿に
入る。入り口で無料のガイドツアーを募集してあったので申し込みをして、説明を聞きながらまわった。ガイドツアーは全てを網羅しているわけではないので、ガイドが終わってもう一度周り直す。
Una 御庭
御庭 (ウナー) と呼ばれる。公式行事を行う広い広場に出る。正面には正殿、向かって右 (南側) が南殿/番所 (ばんどころ)、左 (北側) が北殿。御庭には磚 (せん 敷き瓦) というタイル状のものが敷かれている。列を色違いにし、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印になる様にしている。中央の道を浮道 (15センチ程度高く浮いた様に作られていた) といい、国王や中国皇帝の冊封使等限られた人だけが通ることを許された。
面白いことに、この浮道は奉神門から正殿に真っ直ぐ伸びているわけではない、御庭も少し変形している。これはまだ謎のままの様だ。何か理由があってこうしているのか (浮道をそのまま伸ばした先には首里森御嶽がある)、たまたまこうなってしまったのか?
この御庭での公式行事で最も重要なもの冊封の儀式の模型があった。王が即位した際に、中国 (明、清など) に認めてもらう儀式だが、この為に冊封使団が約500人ほど来琉し半年もの間滞在していた。費用はすべて琉球王朝が持った。莫大な費用であったが、王の代に一回だけであり、朝貢貿易はその費用と比較できないぐらいの莫大な利益をもたらしていた。
冊封使滞在中には7宴が催される。まずは先王の功績を称える諭祭が宗元寺で、その後、王の即位式である冊封の儀式、後5回、宴が設けられている。
Hokuden 北殿
北殿はかつては北の御殿 (にしのうどぅん)、議政殿 (ぎせいでん) とも呼ばれていた。創建は1506~1521年頃とされ、1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建された。通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆 (大臣) や筆者、里之子 (さとぅぬし) と呼ばれる役人等が働いていた。沖縄戦で消失したが、復元されている。冊封使への宴はここで行われていた。
Nanden/Bandokoro 南殿・番所
庭から向かって右側が番所で左側が南殿。南殿は別名 南風御殿 (はえのうどぅん) とも呼ばれていた。創建は1621~27年。番所は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、南殿は薩摩藩の役人たちが来琉の際に接待所として日本風の儀式が行われた所。ここは朱塗りになっていない。塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていないと言われている。現在は資料展示として利用されている。
Seiden 正殿
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿 (ももうらそえうどぅん) とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式。首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られている。(下地の一部は漆である) 今年この塗り替えを行った直後なので、朱色が鮮やかだった。
Shoin & Sasunoma 書院・鎖之間
鎖之間は王子などの控え所で、また諸役の者達を招き懇談する御鎖之間 (おさすのま) がある建物。奥には裏御座 (うらござ) 言われる茶室があり、御鎖之間の裏座にあたり、お茶を点てて客人に振る舞っていた。現在、鎖之間は琉球菓子で接待を体験できる施設となっている。
ここから廊下で正殿につながっている。正殿への入り口に近習詰所があった。
Kinju Tsumesho 近習詰所
近習頭や近習役、筆者、側近など、約20名あまりの役人が詰めていた場所。その役人たちは、国王の朝夕の雑用や居住空間である御内原からの出入りに付き添っていた。建物は南殿の東側に隣接し、南殿や黄金御殿などと2階部分で連結していた。現在は、映像コーナー・休憩コーナーとして使用されている。
その内部には鈴引と呼ばれる小座敷や、御茶煮詰と呼ばれる部屋があった。建物の創建年は不明。紐でぶら下がった紐を引いて鈴を鳴らし取次を依頼する仕組みになっている。
Kugani Udun 黄金御殿
国王や王妃・王母のプライベートゾーンで、2階には居間や寝室があった。建物の創建年は不明。1709年に焼失し、1715年までに再建された。建物は2階部分で正殿・二階御殿・近習詰所とつながっている。
習詰所で鈴引を鳴らし中に入るわけだが、ここはプライベート空間 (内) と言われたが、江戸時代の大奥にあたり、男子禁制の場所であった。御内原 (おうちばら) と呼ばれた。
Saeki Mon Gate 左掖門
暗シン御門 (くらシンうじょう) とも呼ばれている。黄金御殿の1階に位置し、壁と天井に囲まれたトンネル状の形態で、通路の途中で一度くねっており迷路を思わせる造りで、昼間でも薄暗い場所。1671年に創建、1709年に焼失、1715年に再建。王国時代に行われた祭祀・儀礼において、御内原にいる神女たちは、左掖門を通過して、御庭に至った。つまり左掖門は、神女たちが「内」から「表」へ向かうための通路。御内原側からしか開けられない造りになっていたとされることから、ごく限られた時にしか使われなかったと考えられる。
正殿2階に入る。
正殿2階は、日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間で、大庫理 (うふぐい) と呼ばれていた。2階の御差床は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところ。儀式の際には床の間には香炉、龍の蝋燭台、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていた。部屋の上部には中国皇帝から贈られた御書の扁額が幾つも掲げられていた。中山世土の扁額は古い記録をもとに再現されている。壇の形式は寺院の須弥壇に似ており、側面の羽目板には葡萄と栗鼠の文様が彫刻されている。高欄には正面に一対の金龍柱が立ち、他の部材には黒漆に沈金が施されている。御差床の正面にある部屋は唐玻豊 (からはふ) と呼ばれ、正月の儀式や中国皇帝への親書を送る時などに、国王が椅子に座り御庭に並ぶ諸官とともに儀式を執り行った重要な場所。
南東隅の部屋は「おせんみこちゃ」と呼ばれ、国王自ら女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいた。御床 (おとこ) には神棚として神霊が祀られ、女官は抹香を焚いて火の神 (ひぬかん) 等を拝礼した。身分の高い神女の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われた。三階は主に通風のために設けられた屋根裏部屋だった。
Usasuka 御差床 (2階)
国王が座る玉座がある。御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段 (おちょくい) がある。国王はその階段を使って、2階から御差床に出御した。御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている。国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の肖像画をもとに再現している。
Usasuka 御差床 (1階)
正殿1階は下庫理 (しちゃぐい) と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場。中央の華麗な部分が御差床 (うさすか) と呼ばれ、政治や儀式の際に国王が出御する玉座である。左右には国王の子や孫が着座した平御差床 (ひらうさすか) がある。裏側には二階に通じる階段があり、国王はこの階段を降りて御差床についた。
正殿内部の見学はここまでで、これからは新しく復元され、今年2月から公開された正殿の裏側つまり奥の世界であった御内原の見学に移る。まだ工事中のところもあったが、首里城はまだまだ復元をしていく様だ。次に来る時はどうなっているのか楽しみになる。
Kushi Nu Una 後之御庭
正殿の裏側にある広場で、女神官を中心とした祭儀が行われていた。ここから東のアザナまでは神聖な空間とされ、地面にはサンゴが敷き詰められていたと言う。復元後も砕いたサンゴが敷き詰められている。
サンゴが敷き詰められている
Yuinchi 寄満
寄満は黄金御殿につながった東西に細長い建物。国王とその家族の食事を準備した所で、大台所 (おおだいじょ)、筆者 (ひっしゃ)、包丁 (料理人)、あがま (女中)、御水使、下代などがいた。
復元後は、多目的室としてが整備されている。
Yosoeden 世添殿
御内原の管轄所。国王の側室の住居でもあった。建物の形状の資料が残っていないので復元はしておらず、敷地の跡地だけ区画している。
Hohokoriden 世誇殿
国王が死去したとき、王位継承者である世子 (せいし) が即位の礼を受ける建物。平常は未婚の王女の居室となっていた。
Nyokan Kyoshitu 女官居室
御内原で勤める女官たちの居室。御内原は国王やその親族等限られた男性以は立ち入ることのできない男子禁制の空間であり、御内原で仕える女官たちは首里城内に住み込みで暮らしていた者たちと、通いで勤める者たちとがいた。国王の身の回りの世話やさまざまな「奥」の職務を行う女官たちを総称して城人 (ぐすくんちゅ) といい、城人は身分に関係なく器量に優れた女性が選ばれていたという。
Chrysanthemum Field 菊畑/小菊畑
琉球王の家族が内輪で楽しめる為の菊畑があったと伝えられている。豪華な庭園でなく、ほっとする様なものだったのだろう。琉球王朝の気質が伝わってくる様な感じがする。
Kunebu Planted in Ouchibara 御内原の九年母
これも伝承でシークワサーに代表される九年母がここで栽培されていたらしい。やはり、シークワサーは沖縄では一番ポピュラーの果実なのだ。
Well-shaped Water Reservoir Remains 井戸状貯水遺構
井戸の形をした雨水の貯水状の跡地
Yuya (Bath Room) 湯屋
御内原の女官の浴場跡
Ouchibara Mamono-uchi Utaki 御内原のマモノ内御嶽
やはり御内原にも御嶽があった。
Hakugin Mon Gate & Shimbyoden Remains 白銀門/寝廟殿跡
白銀門は東のアザナ下方にある内郭石積に接して設けられた門で、別名しろがね御門 (うじょう) とも称される。創建年は不明。白銀門と東(あがり)のアザナの間には、国王の霊柩を安置する寝廟殿 (しんびょうでん) があり、寝廟殿へ詣でる国王が通る門であった。それ以外の人びとは、脇門をくぐった。この門は城内の他の石門と様式が異なり、琉球石灰岩で建物の屋根を表現する石造形式の門となっている。古写真をもとに石組を忠実に復元している。
寝廟殿は国王が亡くなったときに一時的に霊柩を安置するところ。内郭の東の端、御内原のもっとも東寄りにあり、御内原でも神聖視された建物。まわりには樹木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗いところがあったという。建物についてはよくわかっていないため、建物の輪郭のみを示している。
白銀門
寝廟殿跡
ここから城壁を伝って東のアザナに向かう。
Agari No Azana 東のアザナ
西 (いり) のアザナに対し、城郭の東端に築かれた物見台で、標高約140mの位置にあり城外の町や城内の正殿裏・御内原一帯を展望することができる場所。天候によっては久髙島を見ることもできる。別名 高アザナともいう。漏刻門や西のアザナと同様に時刻を城内に知らせる役割を担った。
さらに東側城壁外は「上の毛(いいのもう)」と呼ばれる聖地である。
これで首里城をほぼすべてまわった事になる。今日も随分と時間をかけたので、もう夕方になってしまった。今日は正殿もライトアップを見てみたいので暗くなるまで休憩。ライトアップ後、もう一度まわる。今日はこれで三回めだ。ライトアップの城の様子を撮影したので、何枚かここに載せて置く。
結局、閉館時間の8時までいて、暗闇を城壁に沿って自転車を停めている首里駅まで行き、アパートに着いたのは夜9時になっていた。この2日で多分16時間は首里城を見学したと思う。他人はおかしく思うだろうが......