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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大航海時代20-ポルトガルのコチン植民地

2019.08.29 08:27

ガマが帰国する前に1503年、アルフォンソ、フランシスコのアルメイダ兄弟が率いた船団がリスボンを出発した。ポルトガルに敵対しているカリカット王はコチンを襲い国王を亡命させたが、フランシスコはコチンを奪回し、ここに要塞を建設した。この要塞はゴアができるまでポルトガルの拠点となった。

1504年、カリカット王を敗死させると、インド各国でポルトガルの脅威が知れ渡った。イスラム商人はますます敵対、そして報復行為として、エジプトのマムルーク朝がエルサレムの聖堂を破壊し、キリスト教徒の巡礼を禁止する、との通告を教皇ユリウス2世に送った。

ポルトガル王マヌエルは、アルメイダ兄弟に3年間インドに留まることを命じ、イスラム船の拿捕も含めた強大な権利を与えた。フランシスコは副王を称し、コチン王をポルトガル臣下とした。ついにポルトガルはインドに植民地を持ったのである。

インド諸国の王との戦いは激しくなり、フランシスコは息子を戦死させた。そんな中、アルメイダに代わり、アルブケルケが総督としてインドに赴任した。アルメイダは息子の復讐戦の許可をとり、1509年ディーウ沖海戦で、イスラム連合軍を討ち破った。しかし彼は帰国の途中、喜望峰近くで現地人に殺害された。

下はポルトガルのカナノール要塞跡