覚書のようなもの
昨日今日と友人と話していて、
また一つ気づきがありました。
昨日友人に伝えたことで、間違って伝えてしまったことがあって、
それに気づいたのは夜ベッドに入ってから。
なんか寝付けなくてぼーっとしてたら
「は!!!!違うやんけーーーー!!!」って自分の間違いに気づき、
そしたら早く謝りたくなって、さらに寝付けなくなった(笑)
結局朝にメールしました。
伝えた内容は間違いではなかったんだけど、
友人には直接関係ないというか、視点がずれてたというか、
本線からずれてたというか。。。。
その友人とはよく心の話をします。
原因と結果の法則の話もします。
生き方の話もします。
だからこそ、自分も自分視点で物事をとらえていかないとなって思いました。
原因を探す時に、変にそこそこの知識があると、外(起こった事象)に対しての原因を探ってしまうなぁ、そんな傾向に自分が陥ってしまってるなぁって気づきました。
外(事象や人)に原因を探ったところで、もしそれが見つかったと思ったとしても、
それは自分の生きている世界の現実を変えると言うところにはいかない。
結局いつかまた、その課題をクリアすべく別の問題がまた起こるだけ。
「原因は、物事に対する自分の心の反応にこそ、見つけ出すものなんだ。」
今回の大きな気づきはこれ。
そしてこれを友人に伝えるべきだった
前にも書いたと思うけど、人生は自分が主役の壮大な物語。
シナリオは全部自分が決めて来てるはずなんだけど、生まれてくるときにそれは全部忘れるようになっている。だって全部先がわかっちゃったら、面白くもないし、何も学べない。
そしてそれぞれの章によって学ぶことが決まっていて、その為に環境や人間関係などの設定がある。色んな事が起きながら、感情もフルに動かされ、色んな体験をしながらその課題をクリアできるように頑張るんだけど、その時に自分の中に原因を探っていくと、その答えが見つかるという仕組みかな?
と、私は解釈している。
そして、その自分の中に原因を探す時に、
「自分の心に起こった反応」の部分を突き詰めるといいんだなぁって。
これに気づけたおかげで、これからは自分の中に潜っていくときに、
ガイドラインがあるようなものだから、今までよりも早く現実を変えることができそうだ☆
まだまだ伸びしろだらけだ~♬
友人にはメールでこれも伝えました。
ちょっと今回のはうまく言葉に出来なくて、なんだかわかりにくくてまとまってないけど、
この感覚は忘れたくなくて、何度も何度も書き直したりして書いたw
それでこれかよ(笑)
感覚を言葉にするって、ホント難しい。