彼等は幸せか?
こんばんは、みっちです。
以下は、単なる独り言。
スルーしてくださって結構です。
ただ、記事にしておきたかっただけなのです。
キッチンを大掃除して、断捨離しまくった影響で、ぬこ様の食事エリアが微妙に落ち着かない感じになってしまったので、いつもダラダラと横になっているリビングに仮置きしてみた。
抵抗なく新しい場所で食事できて、柔軟性のあるぬこ様だ…と思っていたのだが、食事の後の、雄叫びを上げながら歩き回る…という悪癖を一切行わなかったところをみると、どうやら、家族と同じエリアで食事ができて満足だったらしい。
言われてみれば、生き残った男の子は、極端な寂しがりやであった。
今年に入って、着々と家内の断捨離が進み、見違える程スッキリと、綺麗になっていく我が家。
先日は、汚れ具合が氣重で、ずっと手をつけていなかったキッチンにとうとう手を入れ、予想外に綺麗になったことで、ふと、拭えない思いが過った。
「こんなに綺麗に広くなってきたのに、あの子達は、これを体験できなかった」
もともと4人いたぬこ様達。
そのうち3人を立て続けに亡くした。
あちらへ行ってしまった3人は、今のスッキリ綺麗な我が家を見て、なんていうだろう。
どうして私が生きている間に綺麗にしなかったの?
そんな風に言いそうで、申し訳なさが込み上げてくる。
乱雑だった家の中で、何食わぬ顔で過ごしていると見えていたけど、本当は、不満がたくさんあったかもしれない。
今、最後の1人である りょうぶ が、のんびりだらりとのびのび過ごしている様を見て、生前のように「キシャー!」とイライラしているのではないか、生きている間、幸せだったのだろうか…。そんなことばかり頭を巡る。
今更、家を綺麗にしても、あの子達には何も与えられない。
今更ながらそれが悔やまれる。
[追記]
悔やむことで、どうにかバランスを保ていたのだな…と、この記事を書いて氣がついた。立て続けに飼い猫を失くしたことは、私の心の傷になっているし、もう平気よ、なんて言えない。そのことがいつまでも女々しくて情けないと思っていたけど、家族を亡くしたんだから仕方ないんだ。哀しんでいいし、悔やんでいい。もっとできることがあったはずだ…そう思いを巡らすことで、もしかしたら誰かの役にたつかもしれない。実際、誰かを励ます機会もあった。だから、すべてが必要で、何ひとつ、無駄な経験も想いもないんだ。