ゲノムが語る23の物語
みなさんは「ヒトゲノム」(human genome)って知っていますか?? ネット辞書には、「ヒトのもつ全遺伝子情報であり、ヒト(人間)を形成するのに必要な情報、ならびに生きていくために必要な情報として、遺伝子に書き込まれている情報全体のこと。ヒトの生命の『設計図』ともいわれる。」とあります。自分も専門外なのでよくわからないのですが、要するに人は23の染色体をもっていて、その中に入っているすべての DNA 情報を指すらしいのです。しろうとの解説で申し訳ないのですが、大きい順で言うと、人>細胞>核>23の染色体>DNA という感じで23の染色体の中の DNAの集合体が簡単にいうと「ヒトゲノム」ということになるのでしょうか。このヒトゲノムの全解読を目指したプロジェクトが「ヒトゲノム計画」です。
ヒトゲノム計画 ー このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。発足後、プロジェクトは国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、およびコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)を2000年に完成した。このアナウンスは2000年6月26日、ビル・クリントン米国大統領とトニー・ブレア英国首相によってなされた。これは予定より2年早い完成であった。完全・高品質なゲノムの完成に向けて作業が継続されて、2003年4月14日には完成版が公開された。そこにはヒトの全遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さで含まれるとされている 。(Wikipediaより)
この「ヒトゲノム計画」が終了する頃に出版され話題となった本が、今回ご紹介する「ゲノムが語る23の物語」(著者/マット・リドレー氏)です。(たたし、本書はヒトゲノムの解析本ではありません。ヒトがもつ23の染色体の数にちなんでこれまでの染色体の研究や各染色体の特徴やエピソードを、それぞれ23章にわたって物語風に解説したものです。ちなみにM・リドレーさんはイギリスの貴族出身の科学ジャーナリストです。)以前、総務プレゼンで紹介したフェイスブックCEO/マーク・ザッカーバーグさんの主催するブッククラブでザッカーバーグさんが推薦していた一冊だったので、いつか読んでみたいと思ってました。
今回読んで一番印象的だったエピソードは、第四章(第四染色体)「運命」でした。著者はこの章において、「精神障害の遺伝子発見」とか「アルツハイマー病の新遺伝子発見」というような、「遺伝子があたかも病気を引き起こすために存在するもの」と誤解を与えるような報道を危惧しています。「病気というのは(病気を起こす特定の遺伝子があるわけではなく)ヒトが通常持っている遺伝子が欠如していたり、変異体だったりすることにより起こり得る。」(P76)からです。この「遺伝子の欠如」というテーマをもとに、著者は第四染色体にある「ウォルフ=ヒルシュホーン遺伝子」の欠如により起こる(「ウォルフ=ヒルシュホーン症候群」の中でとりわけ知名度が高い)「ハンチントン舞踏病」を紹介しています。
この「ハンチントン舞踏病」という病気は1976年、アメリカのフォークシンガー、ウッディ・ガスリーがこの病気が原因で死亡したことにより一躍有名になりました。第四染色体にある遺伝子の中で " CAG " という3文字単語が繰り返されている部分(人のゲノムは10憶に及ぶ三文字「単語」が収められている。P78)がありますが、その3文字単語の繰り返しの多さにより発症することがわかっています。「通常の場合は、その繰り返しは15回以下。その繰り返しが35回以下ならば、人は正常でいられる。しかし、この繰り返しが39回以上になると、ある年齢からゆっくりと心身のバランスが失われ、次第に自分の面倒が見られなくなって、ついには早死にする。その衰えは知能のわずかな低下に始まり、その後手足の痙攣へと進行する。そして、やがては極度のうつ病に陥り、時折幻覚や妄想を抱く。(そこには救いがない。不治の病なのだ。)しかもその病は、15年から25年という恐るべき歳月をかけて進行する。これ以上に悲惨な運命などまずあり得ない。それどころか、この病気の心理的な初期症状の多くは、それを見守る患者の家族にとってもまた悲惨と言える。いつその病気に襲われるかと怯えながら過ごす不安とストレスは、身を引き裂かれんばかりのもの」だと言います。(P77)
「原因はひとえに遺伝子にある。ハンチントン舞踏病となる変異があれば、いずれその病気に罹り、なければ 罹ることはない。これは、決定論であり、予定説であり、予定説を唱えたカルヴィンさえ夢にも思わなかっった尺度で決まる運命なのだ。。。タバコを吸っていようが、ビタミン剤を飲んでいようが、体を鍛えていようが、ソファに寝そべってだらだらとテレビを見ていようが一切関係ない。精神錯乱が現れる年齢は、無情にも厳密にある遺伝子のある部分に繰り返されるCAGという『単語』の回数によって決まる。その回数が39回ならば、90%の確率で75歳までに痴呆を呈し、平均的には66歳で最初の兆候が現れる。兆候が出現する平均年齢は、40回なら59歳、41回なら54歳、42回なら37歳といった具合に若くなり、『単語』の繰り返しが50回になると、27歳あたりで精神が異常になる。染色体を赤道一周分の長さと考えた場合、この正常と狂気との差は2~3センチにも満たない。どんな占星術もこれほど正確ではない。また、フロイト説、マルクス主義、キリスト教、アニミズムなど、人間の生み出したどんな因果律にも、これほどの厳密さはない。(中略) 我々がここで相手にしているのは、恐ろしく残酷で動かしがたい事実の予言だ。あなたのゲノムには、10憶に及ぶ三文字の『単語』が収められている。それなのに、あなたを精神障害から隔てているのは、この短い旋律の繰り返しだけなのである。」(P78)
そして、第四章では、この「ハンチントン舞踏病」を解明しようと活躍するナンシー・ウェクスラーさんのエピソードを紹介しています。このウェクスラーさんは、ハンチントン舞踏病を引き起こす遺伝子の変異を持つ家系出身で、将来、発症する(可能性という)運命と戦っている女性です。(この本の出版当時、ハンチントン舞踏病に関する情報量は、遺伝子研究の進歩により飛躍的に増え、原因、症状の発症、病状の進行などわかってきましたが、治療法の解明には至っていません。)リドレー氏は「ハンチントン舞踏病は、遺伝子という広大な領域のなかでも極端な例だ。それは、環境的要因では弱められない純然たる運命論に支配されており、規則正しい生活をしていても、薬を飲んでも、健康によい食べ物を口にしても、愛情に満ちた家族に囲まれても、あるいはいくらお金を持っていても、どうにもならない代物なのだ。運命はすべて遺伝子に託されている。」(P88) 我々の体の中に組み込まれた精密な人体時計がその時を告げると、変異した遺伝子の命令によりその病気が発症する。。。このエピソードは、普段、我々が見ることのない遺伝子とか、ゲノムとか、我々の体に書き込まれた遺伝子設計図の存在を否応なく思い起させるものだと思います。
自分的にはこのほか、第二十章「政治」(狂牛病を発症させる「プリオン遺伝子」)と、第二十一章「優生学」(国家が国民を選別して子供をもうける人間を決める、という「優生学」の起こりから、現在に至るまで)が興味深かったです。( 例えば、リチャード・ドーキンス氏の「利己的な遺伝子」なんかでもそうですが、本書にもいろいろな化学物質名や、化学用語が登場し、正直、素人にはわかりにくい部分もあります。 しかし、初めから100%の理解を得ようとしなくても、読み続けていくと遺伝子学的知見は広まると思います。)
最後に著者のメッセージを。「我々は、ゲノムという本を初めて読み解く幸運な世代である。ゲノムを読み解けば、ヒトの起源や進化ばかりか、その本質や精神も、これまでの科学的成果を上回るレベルで解明できる。(中略) 我々はその謎を解き明かす最初の世代になろうとしている。そして、たくさんの新しい答えを得ようとしていながら、さらに多くの新しい疑問にも直面しようとしている。これこそまさに私が本書で伝えたいことなのだ。」(P15)我々が何かを強く望んだり、あるいは拒否したり、決めたことを行ったり、よくわからないけど決めたことと違ことをやって納得したり。。。実は何万年も前から我々の祖先から受け継がれた遺伝子に書き込まれて続けている DNA が無意識 (ではなく意識的)に我々に指令していることなのかもしれませんね。。。
(* 下の「利己的な遺伝子」は、所々難しい表現もありますが、「ハチの集団」のエピソードや、どうして人間において、「女性が子供の世話をするゆになったのか?」を進化論的に説明する所とか読み応えあります。)