Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「第二の家」ブログ|藤沢市の個別指導塾のお話

人が持つ荷物の大きさはわからないけど、できることはある

2019.09.06 15:05


どんなに距離が近かろうと、僕らはみんな違う人間だから、すべての価値観が合うことはないし、深層心理まで図り知れることなんてない。


僕が「どうでもいいこと」と思うことは、誰かの「大切なこと」で、誰かの「なんだっていいこと」は、僕にとって「これじゃなきゃダメなこと」だったりする。


悩み事だってそうだ。


誰かがちっぽけだと笑う悩みは、他の誰かの深刻なコンプレックスになっているかもしれない。


いつでも、そんな想像力を持っていたいと思う。でも、本日お伝えしたいのは、「だからみんな気を付けてコミュニケーションをとろうね」ってことではなくて、そんな違いを認めた上で、深刻に悩んでいる誰かに「え、それってさ、案外ちっぽけだよ」と届く形で伝えることで、その誰かの世界を変えられる可能性もあるってことだ。




私事で恐縮ですが、僕は中学生の頃、諸般の理由で自転車に乗れなくて、周りにそのことをずっと隠して、一人で勝手に苦しんでいました。今振り返れば笑い話。でも、当時の僕は結構必死でした。


僕の住む地域は田舎で、電車も通っていなくて、みんなはいつも自転車移動。僕だけ、走って移動。おかげで長距離走が得意になりました。「俺、自転車に乗れないんだ、ハハハ」とできれば良かったんですが、変に隠すから余計苦しかったんですよね。


でも、高校進学で乗らざるを得なくなって、真夜中に練習。やってみたらなんてことはない、簡単に乗れるようになりました。よく歩道に乗り上げるところで転びましたけど。


その時、一緒に通学した友達に「お、その自転車いいね」とすごく気軽に言われたのを覚えています。僕が勝手に心配していただけで、みんな僕が自転車に乗れないことを知っていたけど、そんなこと誰も全然気にしてなかったんですよね。なんかその時、すごく視界がひらけた感じがしたんです。


今思い返せば、「ああ、僕が勝手に重い荷物にしてただけなんだなぁ」なんて風なことを思った記憶があります。


まだ思い出すと胸のどこかにちょっぴり刺さっている棘みたいなものもありますけどね。乗れなかった自分にというよりは、隠していた自分に、かな。


そんなコンプレックスでしたけど、今じゃ生徒たちにも笑って話せます。余裕です。あの頃苦しんでいた僕が馬鹿らしくなるぐらいですが、当時の僕は一生懸命悩んでいたんですよね。 




僕にとってその友達の一言で、自分の中の世界が広がったように、決して無理強いとか不躾にとか押し付けではなくて、放たれた一言で誰かが誰かの世界を広げてくれることってよくあると思うんですよね。


格好良く言えば、パラダイムシフト。そしてそれは実は意外と簡単に起こったりするんです。


僕らは違う。僕らの考え方は違う。同じように見える荷物でも、その重さや抱え方は違ったりする。その大前提を踏まえた上で、それでも、違った持ち方や中身について話をすることで、急に荷物が軽くなることがある。


子どもたちにとって、僕ら大人が、僕ら大人の言葉がそんな存在になれればいいなという自戒も込めて、書いてみました。


本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。

笑い飛ばしたら、笑い飛ばせることもあるからね。