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Ayako Tokura

森の静けさ

2019.09.01 12:26

24日近江楽堂でのコンサートにお越しいただいた皆様、暑い中本当にありがとうございました。

満席のお客様に温かく見守っていただき、幸せなひとときでした。

素敵な花束やプレゼントもいただきまして、本当にありがとうございました。



本来ならばすぐにお礼のご挨拶をさせていただくところ、一週間もあとのご挨拶になり申し訳ありません。





あのコンサートのあと、ハープの浜田さんと運営をいつも統括してくださる西田さんと3人でお寿司をたべ、次の打ち合わせをして幸せにぬくぬくと帰宅して。


お風呂も入って、さてSNS更新しようとしたところでした。





高校時代の恩師、原 博巳先生の訃報が届きました。




ピリカのメンバーも連絡をくれて。



Twitterにも呟いたけど、いみがわからなかった。


いみがわからないとつぶやいたら、

先生が倒れる直前に先生と会話した友人が色々教えてくれて。



私の話をした、と教えてくれた。




いみがわからないけど、ほんとうのことなんだ、とないた。



心はないてたんだけど、涙なんか、出てなかった。




大事な友人、身内、大学の先生。誰が亡くなっても「人間は誰しも必ず死ぬ」というある意味冷めた感情しかなかった。




でも、人間って本当にショックを受けた時って感情がなくなるんだなぁと。




涙なんか出てこない。わたし最近涙もろいのに涙でない。




あーこれまずいなーとおもった。



次の日朝から晩までレッスン漬けの1日だったからこそ切り替えられた。切り替えは得意。特技。



みんなのキラキラした瞳に元気をもらい。

あんなに仕事に助けられた、と思う日はなかった。





それからしばらく、みんなが先生との想い出を綴る投稿が続いて、正直吐き気がした。ごめんなさい。






想い出ってなに?いや、なに?







とやさぐれていた(笑)







今日ね。さっきね。レッスンを終えて帰宅して。

やっとあの日のコンサートで撮った写真をみました。いい笑顔でした。




そして冒頭の写真を見た瞬間、涙が出ました。あれから、はじめて。



近江楽堂でのリハ中に撮った写真。

近江楽堂は天窓から自然光が差し込むほんとうに素敵なところ。



この日は雨予報だったのに晴れ女パワーですっかり晴れて、とても良い光が差し込んでいた。



それが光のように空間を照らしていて、




あぁ綺麗だな、と天窓を見上げて撮ったこの写真。





それがちょうど、先生が息を引き取られた時間でした。









あー。私、ちゃんと受け止めてなかったんだなとようやく今気付きました。



悲しいとか辛いとかショックとか、そんなの通り越してやっぱりまだ、いみわかってなかったんだな、と。




この写真を今みて、そして撮った時間に気づいたいみ。




ちゃんと先生とのこと、振り返ろうとおもいます。


 

長々と綴りますので覚悟してね。(笑)








先生と私の出会いは、私が高校2年生のとき。


2002年にアドルフ・サックス国際コンクールで日本人で初めて優勝されて、朝日新聞の「ひと」欄にインタビュー記事が掲載された直後のこと。



私がサックスの道に進もうと決意したのが高校入学直前。

音楽が大好きな両親は喜んでくれるだろうと思っていたのにまさかの母が猛反対。

ずっと喧嘩してた。人生で一番喧嘩してたし泣きまくってた。そんな一年を過ごしたのち。



突然母が記事を持ってきた。



「この人日本人で初めてコンクールで優勝しはったんやって。鎌倉に住んでるみたいやからこの人に習ろうてみたら?」



一年越しの母の譲歩。和解。

それが、原先生とのご縁のきっかけだった。





今から思い返してもまぁ、ひどい生徒だったと思う。




ちょー下手くそだった。


よく原先生の門を叩けたもんだ(笑)



しかし原先生もまだ、どの音大でも教えていらっしゃらなかった20代。



とにかく優しかったーーーーー(笑)



とにかく、怒らなかった。



まぁそれで調子にのって実力度外視の大学を受験したわけなんですけどもね。(笑)(笑)(笑)





音がほんとに、ほんとうに綺麗で衝撃だった。




ジャズもクラシックもよくわかってなかったけど、こんな音が出したいって思ってた。





レッスンはとにかく、先生がたくさん吹いてくださった。




サックス吹きのみなさま。



あの音でラクールの1番を想像してみてください。



いつまでも聴いていられます。






先生が吹き終わって




「はい、じゃーこんどとくらさん」






「........いやです」






 って言って爆笑されたの覚えてる。

今はなき、大船の古い古いビルの音楽教室で。




ほんとうに、優しかった。

怒られたことなかった、あの頃は。

今はどうなんだろ?大学の先生っぽくなったのかな?



あ、でも何度か大学時代や卒業してからご自宅に行ったけど、やっぱり怒られなかったな。





おかげで大学入学後に師事した彦坂先生はめちゃんこめちゃめちゃ厳しくて毎日泣いてたけどね!!←






 先生の1stCD、森の静けさは今でも宝物です。楽譜も。くださったの、先生。




そのあと大学時代に寛子たちと企画したコンサートにも来てくださったり。





いつもいつも、気にかけてくださってた。





最近はお歳暮とお中元の時期にしか連絡をしないという無礼が続いていたのに、いつも必ず「届いたよ!」って連絡くださってた。





私が原先生にレッスンしていただいていた期間はほんの2年。









こんな下手くそな落ちこぼれが、今ちゃんとアーティストとして活動できているのは、間違いなく原先生と彦坂先生のおかげでしかありません。




先生の名に恥じぬよう、これからも何事にも全力でぶつかっていきます。 





私の数少ない(笑)サックス吹きの友人の皆様。

ご心配いただき本当にありがとうございました。








やっと、いみ、わかりました。





せんせい。ありがとう。