森の静けさ
24日近江楽堂でのコンサートにお越しいただいた皆様、暑い中本当にありがとうございました。
満席のお客様に温かく見守っていただき、幸せなひとときでした。
素敵な花束やプレゼントもいただきまして、本当にありがとうございました。
本来ならばすぐにお礼のご挨拶をさせていただくところ、一週間もあとのご挨拶になり申し訳ありません。
あのコンサートのあと、ハープの浜田さんと運営をいつも統括してくださる西田さんと3人でお寿司をたべ、次の打ち合わせをして幸せにぬくぬくと帰宅して。
お風呂も入って、さてSNS更新しようとしたところでした。
高校時代の恩師、原 博巳先生の訃報が届きました。
ピリカのメンバーも連絡をくれて。
Twitterにも呟いたけど、いみがわからなかった。
いみがわからないとつぶやいたら、
先生が倒れる直前に先生と会話した友人が色々教えてくれて。
私の話をした、と教えてくれた。
いみがわからないけど、ほんとうのことなんだ、とないた。
心はないてたんだけど、涙なんか、出てなかった。
大事な友人、身内、大学の先生。誰が亡くなっても「人間は誰しも必ず死ぬ」というある意味冷めた感情しかなかった。
でも、人間って本当にショックを受けた時って感情がなくなるんだなぁと。
涙なんか出てこない。わたし最近涙もろいのに涙でない。
あーこれまずいなーとおもった。
次の日朝から晩までレッスン漬けの1日だったからこそ切り替えられた。切り替えは得意。特技。
みんなのキラキラした瞳に元気をもらい。
あんなに仕事に助けられた、と思う日はなかった。
それからしばらく、みんなが先生との想い出を綴る投稿が続いて、正直吐き気がした。ごめんなさい。
想い出ってなに?いや、なに?
とやさぐれていた(笑)
今日ね。さっきね。レッスンを終えて帰宅して。
やっとあの日のコンサートで撮った写真をみました。いい笑顔でした。
そして冒頭の写真を見た瞬間、涙が出ました。あれから、はじめて。
近江楽堂でのリハ中に撮った写真。
近江楽堂は天窓から自然光が差し込むほんとうに素敵なところ。
この日は雨予報だったのに晴れ女パワーですっかり晴れて、とても良い光が差し込んでいた。
それが光のように空間を照らしていて、
あぁ綺麗だな、と天窓を見上げて撮ったこの写真。
それがちょうど、先生が息を引き取られた時間でした。
あー。私、ちゃんと受け止めてなかったんだなとようやく今気付きました。
悲しいとか辛いとかショックとか、そんなの通り越してやっぱりまだ、いみわかってなかったんだな、と。
この写真を今みて、そして撮った時間に気づいたいみ。
ちゃんと先生とのこと、振り返ろうとおもいます。
長々と綴りますので覚悟してね。(笑)
先生と私の出会いは、私が高校2年生のとき。
2002年にアドルフ・サックス国際コンクールで日本人で初めて優勝されて、朝日新聞の「ひと」欄にインタビュー記事が掲載された直後のこと。
私がサックスの道に進もうと決意したのが高校入学直前。
音楽が大好きな両親は喜んでくれるだろうと思っていたのにまさかの母が猛反対。
ずっと喧嘩してた。人生で一番喧嘩してたし泣きまくってた。そんな一年を過ごしたのち。
突然母が記事を持ってきた。
「この人日本人で初めてコンクールで優勝しはったんやって。鎌倉に住んでるみたいやからこの人に習ろうてみたら?」
一年越しの母の譲歩。和解。
それが、原先生とのご縁のきっかけだった。
今から思い返してもまぁ、ひどい生徒だったと思う。
ちょー下手くそだった。
よく原先生の門を叩けたもんだ(笑)
しかし原先生もまだ、どの音大でも教えていらっしゃらなかった20代。
とにかく優しかったーーーーー(笑)
とにかく、怒らなかった。