この世に存在できているよろこびの音色
瀬戸内かわいい部のやすかです。
8/24-9/1まで、みちくさくらすさんにて開催させて頂いた、瀬戸内かわいい部東京写真展-このまちの光-が幕を閉じました。
せとかわ発足一周年を記念して、東京支部のみなみさんが発案してくれたこの企画。私は1日しか東京には行けませんでしたが、「せとかわ写真展行ってきました」と写真をアップしてくださる東京の皆様の様子を毎日スマホで見ながら、岡山でしあわせをかみしめていました。
気づけば、仲間だと思える人たちが、一年ですごく増えていました。
最初、運営メンバーが「瀬戸内かわいい部」という名前を呼んでくれたとき、すごく嬉しくて、こそばゆい気持ちがしたのを覚えています。
今は、いろんな方が、「瀬戸内かわいい部」とか「せとかわ」とか、私たちの活動の名前を呼んでくださいます。その度に、やはりまだ、わたしは心のどこかで、嬉しくてこそばゆい感じがします。
この、嬉しくもこそばゆい、感情の正体は一体なんなんだろう?とずっと疑問に思っていたのですが、その正体が今日、ふとわかったような気がしました。
それは、多分、瀬戸内かわいい部の「この世界に存在できているよろこびの音色」だと思います。
我が子のような「瀬戸内かわいい部」ですが、人間の子どもとは決定的に異なる点があります。
それは、瀬戸内かわいい部には実体がない、という点です。
瀬戸内かわいい部は、名前を呼んでくれる人がいて、瀬戸内かわいい部として活動してくれる人がいて、初めてこの世界に存在できるのです。そして、多くの人が名前を呼んでくれるたびに、その存在が、確固たるものになっていくのだと思います。
最初の最初は、わたしの頭の中の瀬戸内かわいい部だったのに、いつのまにか「わたしたち」の瀬戸内かわいい部になり、「みんな」の瀬戸内かわいい部になり、その存在が、輪郭が、日に日にくっきりとしてきているように感じます。その成長を見守るのが、とても楽しいです。
実体が無いのに、存在できるって、実は奇跡のようにありがたいことです。名前を呼んでもらえる瞬間に、瀬戸内かわいい部は、とくんと脈打って、存在できるよろこびを、伝えているのかもしれないなと思います。