思い出はかわらない
変えようとおもっても、変えられない。
と いちにちを終えた帰路で、そう思った。
きっかけは温度だった。
室内から外にでて、むっとした雨上がりの湿度と目にやさしい暗さに、
あぁ 花火にぴったりな雰囲気だな
と思った。
となりにいた人にそう話すと、
「もう 夏もおわりかけですけどね」といわれて
ぼんやりとして、今が何月で、きせつはなんだったのかよくわからなくなった
それでもまだ、空気はへんになまぬるくて、
どうしても、昔いとことした 手持ち花火を思い出してしまう。
となりの人は、わたし 花火は線香花火しか好きじゃないです。
あと、火が外がわにシャーッとでるやつしかできないですね といって
わたしも 内がわにシャーッと出ちゃったら大惨事じゃん、と笑った。
自転車にのってもまだその感覚は消えなくて、いつもよりペダルをこぐ足がだるくなる。
あまりにも、夏だった。
なつだったし、わたしがかたぐるまされていた日そのものだった。
泣きそう と おもったけど
なけなかった
こういうとき、ずっと泣くものだと思っていた。
昔のことを 思いだして ほろりと。
泣けないのは わたしにとって大きなストレスで
泣けなくなってしまった
「変わってしまった」
自分に よけいかなしくなった。
昔に、どれだけかなしかったとしても
今 泣けないのだ。
記憶に
ただの。
吐きそうな、かんじ。
それでも 泣けないから、
かなしさと
癇癪をおこして
じだんだを踏みたいもやもやが、交互にやってきた。
思い出は
どれだけ「こうあってほしい」
とおもっても 変えられない
しょせん もう起こってしまった
「過去」のことなのだ。
頭のなかだけで、「もどらない」がぐるぐると回る
思い出はたとえ3年でも、
10年前になっても
どれだけ時が経とうが 変わらないのだ
ずっと、ただそこにあるのだ
かなしくても、うれしくても
なにも なくても
わたしが忘れない限り ひっそりと
でもたしかに そこにある。
なんていっていいか わからない
めのまえを、フランダースの犬にそっくりなのがかけていった。
きえてくれ、と 何かに対してこんなに思ったことはなかった。
一種の呪いだった。
ゆきちゃんの、「呪い」という歌詞が
ふわりとながれていった
魔法か、とおもって、すぐに連想するのはステッキだった。
魔法のステッキは、わたしも昔もっていた。
花火大会で、父に、きらきら光るにせものを買ってもらったのを。
くわしいことは全然おぼえてないけど、
すさまじい音をたてて走るバイクにのって、
車たちがはなつ光にそれをてらして
ゆらゆら振ったのを よくおぼえている。
あの日だって、
父のせなかはあたたかかったし、
くうきも、たしかに夏だったのだ。
もう戻ってこないのに、
かわってくれないのか。
目のまえが ぼやぼやとする
たとえ嘘でも、わたしだけがおぼえていればそれでいいんだろうか
みんなが、忘れてしまったとしても。
昔あったいろいろなことを
「おもいで」としてくくって、箱にしまって
気づかないうちに
美化したり、わすれたり、捨てたりしてゆくなか
わたしだけがおぼえていれば
それでよかったんだろうか
わたしだって、つごうよく綺麗にしたり
つけ加えたり
嘘をついたりしてるかも しれないのに。
たとえそれが嘘でも
わたしは
その想い出たちに
すがっていたいのか。
そう考えると、たえられなくなった。
まさに 「呪い」だとおもった
もう、自転車は家についていて
かってに着いていた というかんじがした。
自転車を停めると、ガシャコンとなつかしい音がして
なみだが かんたんにおちた
自転車のにぶい音だけが、
いつのときだって かわらなかった
かってに口からこぼれたことばは
じぶんでも信じられないくらい、