Creative Neighborhoods 街と住まい 「逗子市沿岸部における 建物世代のタイポロジー」
第8回
湘南邸園住宅地における建物の変遷
「逗子市沿岸部における建物世代のタイポロジー」
逗子市沿岸部における建物世代のタイポロジー
湘南地域は相模湾に面した温暖な気候の地域である。1887(明治20)年の東海道線の開通をきっかけに、海辺と山辺の各地域で別荘地化が進み、戦後以降は東京や横浜のベッドタウンとして住宅が増えていった。今回紹介する逗子市沿岸部もその一つだ。昔からその土地に住んできた住民は、「新しく住宅をつくる時には、原風景や昔からの街並みの特徴を少しでも意識してほしい。」と思っている方が多いが、新しい住民のなかには、その土地の歴史・文化や、かつて別荘地であったことを知らない人も多いだろう。
そこで本稿では、逗子市沿岸部を事例として別荘地から住宅地へと変遷していった節目毎に世代を区切り、各世代の建物の特徴を類型化(タイプ化)し、その一連の流れを「タイポロジー」として紹介する。
逗子市沿岸部は、逗子駅の開設をきっかけに政治家、実業家、外国人らの別荘が建てられていった。黒松の自生林によるトンネルをくぐるように細い道があり、門や垣根による構えの内側には、広い庭に木造平屋建ての日本家屋や、あるいは和洋折衷の建物が建てられていた。しかし、1923年の関東大震災の地震や津波によって、それらの建物は全て流失や焼失してしまった。[第1世代]
その後、海岸に面した場所には、湘南で唯一の和洋折衷のなぎさホテルが建てられ、皇族、官僚、軍人、外国人などによる華やかな交流と文化が栄えた。また、海の家などの海浜施設も多く建てられ、日帰り客や短期滞在の客層が増えていった。[第2世代]
戦後は、敗戦と共に別荘を手放す人が多く、それらの多くは事業者の別荘や保養所となったが、1964(昭和39)年のオリンピック前までは、150坪以上の別荘が多く存在していた。[第3世代]
オリンピック後はベッドタウン化が進み、広い別荘の敷地はRC造の集合住宅や、60〜150坪の敷地に細分化され住宅が増えていった。[第4世代]
バブル崩壊後には、60坪以下、30坪以下の敷地も増えて木造住宅の密集化が進んでいった。そのため、津波が起きた場合に流失する建物の想定被害は、神奈川県内で逗子市沿岸部が一番高い割合となっている。[第5世代]
上の図は、各世代における特徴的な建物のタイプの変遷を示したものである。第5世代は2016〜2018年までに耐用年数が終わる予測である。今後、どのような地域にしていきたいのか、まさに今が節目の時期にあたるのだ。
逗子市沿岸部における建物用途の変化
志村真紀
横浜国立大学 地域実践教育研究センター 准教授・博士(デザイン学)。専門は建築意匠、地域・都市デザイン。東日本大震災を踏まえて、逗子市沿岸部において地域住民と共に事前復興計画を検討。2018年から逗子市総合計画審議会委員など。各地域のまちづくりやデザインに携わる。