愛と哀しみの傑作(マスターピース)レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「聖アンナと聖母子」
レオナルド・ダ・ヴィンチは膨大な数のデッサンや手稿を残していますが、絵画(ペインティング)の数はわずか10数作品(研究者により諸説あり)にすぎません。そんな数少ない作品の中にあって、幼子イエスと聖母マリアを描いた聖母子画は5点にもおよびます。彼にとって、母子像は特別なものだったようです。
1452年、レオナルドはフィレンツェから西へ40km程のダ・ヴィンチ村で、地主で公証人のセル・ピエロ(25歳)と村娘カテリーナ(20歳?)との間に生まれました。身分の違いから二人は正式に結婚することなく、レオナルドが生まれたその年に、父ピエロはフィレンツェの富豪の娘アルビエーラ(16歳)と、実母カテリーナも煉瓦焼き職人と結婚しました。
父と継母は仕事の関係でフィレンツェに住み、レオナルドは祖父と村で暮らします。彼が11歳の時、アルビエーラが亡くなります。実母はもちろん継母を含め、母の愛というものには恵まれなかったようです。
1466年頃、レオナルドはフィレンツェ随一の工房を主宰するヴェロッキオに弟子入りします。その後独立し、次々と傑作を発表していくのです。
1519年、レオナルドは国王フランソワ1世の庇護のもとフランスで亡くなります。その時まで生涯手元に置いていた作品が、あの「モナ・リザ」と「洗礼者ヨハネ」、そして「聖アンナと聖母子」です。
「聖アンナと聖母子」には、イエスとマリア、そしてマリアの母・聖アンナが描かれています。この絵には宗教的というよりも、日常的な母と子の愛情が溢れています。聖性を表す光輪さえ描かれていません。さらに、聖母マリアと聖アンナは親子というよりもまるで姉妹に見えます。その年齢差はちょうど実母カテリーナと養母アルビエーラのようです。「聖アンナと聖母子」は、息子レオナルドをみつめる優しい二人の母の姿なのかもしれません。
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452〜1519)
イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才。「モナ・リザ」、「最後の晩餐」といった美術作品はもちろん、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、動植物学、天文学、気象学、地質学、物理学、光学、土木工学などさまざまな分野にわたり優れた業績を残した。
イラスト:遠藤裕喜奈