帝国対王国16-対ヴェネツィア共同戦争
2019.09.06 02:09
反ヴェネツィアの根回しを行ったのは教皇ユリウス2世である。ヴェネツィアは、チェーザレの亡き後、火事場泥棒的に、イーモラ・フォルリに侵攻して、教皇と戦争をしていた。1506年には自ら兵を率いてペルージャ、ボローニャを奪回した。しかしこのバチ当たりの街には教皇の破門も効き目が薄い。
1508年12月8日、神聖ローマとフランスおよびアラゴンの対ヴェネツィア「カンブレー同盟」が結ばれた。面白いことに、この名目はトルコに対する同盟であって、ヴェネツィアは、その他キリスト教の敵に当たるらしい。ここで皇帝マクシミリアンはミラノのフランス支配を認め、その代わり、スペインのカールの相続をフランスが容認した。
この和約は極秘裏にすすめられ、1509年4月、教皇はヴェネツィアを破門し、フランスは旧ミラノ領奪回へ、神聖ローマはオーストリア奪回、アラゴンはナポリ領へ、それぞれ同時に侵攻したのである。
フランスは2万の軍勢で北部領に攻め込み、アニャデッロの戦いに勝利した。フランスはその勢いでブレシアまで侵攻、神聖ローマはヴェローナ、パドヴァをやすやすと手に入れ、教皇軍は、ラヴェンナを占領した。ヴェネツィア最大のピンチである。
下はカンブレー同盟のアレゴリー