城田実さんコラム 第46回 今なぜ国策大綱を復活させたいのか? (Vol.114 2019年8月27日号メルマガより転載 )
「GBHN」と聞いて直ぐにピンと来る人はかなりインドネシア経験が長い方かも知れない。日本語では「国策大綱」と訳されている。インドネシアの歴史に「開発の時代」を始めてもたらしたスハルト政権は開発独裁と呼ばれたが、スハルト大統領は決して独裁者ではなく民主的な指導者なのだという主張のカギはこの「国策大綱」にあったと言えよう。スハルト時代でも憲法は主権が国民に存すると定めているから、ポイントは国民の意志で政治が動いていたかどうかということになる。国家の最高機関である国民協議会が、主権者である国民の意を体して、大統領が任期中に果たすべき国政の基本指針として策定したのがスハルト体制下の「国策大綱」であった。任期の終了時には、大統領の任免権を持つ国民協議会が、大統領が国策大綱に従ってきちっと国政を遂行したかどうかを審査する。従って、大統領は、間接的にではあるが、主権者である国民の負託に応えて国政を行ったという理屈になる。しかしスハルト政治の実態がその通りに民主的であったかどうかは歴史が示す通りである。国策大綱もスハルト政権の崩壊後に憲法から削除された。
その「GBHN」を復活させる動きが急速に高まっている。往年の人気俳優がすっかり老いたのに突然芸能界復帰を表明したかのような錯覚にとらわれた人も少なくないに違いない。しかしその火付け役が、ジョコウィ大統領の出身政党であり国会の最大会派である闘争民主党となれば話は別である。政界には大きな波紋が広がっている。闘争民主党は今月の党大会で、憲法を改正して国民協議会を再び国家の最高機関と位置づけ、同協議会に国策大綱を策定する権限を付与すると正式に提案する決議を行なった。しかしスハルト体制から民主化の時代に変わって既に20年が経過し、新しい制度も定着したこの時期に、何故憲法を改正してまで国策大綱を復活するのだろうか。
闘争民主党の幹事長は、国家開発の基本が内閣の交代のたびに変わることのないよう継続性のある基本方針(つまり国策大綱)を策定する必要がある、と説明している。しかし、現在の国家開発計画は20年長期及び5年中期の各計画を受けて毎年の計画を策定しているので、国策大綱の緊急性は必ずしも感じられない。むしろ国民協議会を国家の最高機関として復帰させると、大統領の選出も国民協議会で行うようになるのではないか、という疑心も生ずるなど議論が混乱している。
闘争民主党による憲法改正提案の本当の意図は別にところにあるという見方がある。ジョコウィ大統領は再選確定後、これが自分の最後の任期になる(3選は禁止)ので、政治的な負担はもうないと述べて、今後は大統領としての指導性をよりはっきり打ち出すと受け止められる発言を繰り返している。これに対して、闘争民主党(即ちメガワティ党首)はこれまでジョコウィ大統領を党の指揮下に置くことに腐心してきた。ジョコウィ氏が大統領に初当選した際には、メガワティ党首が「大統領といえども単なる一党員」と公然と発言して、大統領の資格で出席した党の全国集会でもジョコウィ氏に挨拶の機会を与えなかったことがある。その後、国政にも慣れ、独自の政治基盤も持つようになった現在のジョコウィ大統領に対して闘争民主党が依然として、党の支配から自由にはさせない、あくまでも親離れをさせないと繰り出した一手が今回の憲法改正提案だった、という解釈である。国民協議会が大統領より上位の国家機関になり、そこで決議された国策大綱が国政の指針になれば、行政府の長としての大統領の裁量は大きな制約を受ける可能性がある。国策大綱は表現が一般的、抽象的で解釈が多義になる可能性があるので、国民協議会での政党構図によっては大統領の施策が国策大綱違反と批判される可能性も広がるからである。もしこの見方が正しいとすると、党(あるいは政治エリート)の小さな利害関係によって憲法改正という国家的な判断が行われることになる。
闘争民主党の主張はこれにとどまらない。プラボウォ氏のグリンドラ党が与党に合流するか、国民協議会の議長団にどの政党が選ばれるか、を巡って政局は大きく動いているが、闘争民主党は憲法改正に賛成するか否かが国民協議会議長団を選出する判断材料になるとも主張している。この主張を受けてグリンドラ党と国民信託党(何れも先の選挙では野党)は早速に憲法改正支持を表明、反対に与党のゴルカル党やナスデム党の幹部からは慎重な意見が多く出ている。ジョコウィ氏の大統領就任を前にして、大統領選挙で築かれた与野党の基本的な境界自体が曖昧になりかねないと心配する専門家もある。
ジョコウィ大統領は独立記念日の国政演説で、「世界は今、厳しい競争の中にある。我々は昨日より進歩した今日に満足してはならない。他国より進歩することが重要だ。そのためには一歩一歩の前進ではなく、『飛躍』に向けた国民一致の覚悟が必要だ。」と訴えた。「GBHN」の議論と駆け引きを見ていると、「国民一致の覚悟」どころか、国会議席6割を確保したはずの与党の結束まで揺るがないかと心配になってくる。(了)