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前に進めるということ

2019.05.06 02:31

何人かで携わる、いろいろな取り組み、
例えば我々の職業だと、
何人かで「弁護団」を組んで事件に取り組んだり、
また会の委員会やPTなどといったものでの取り組み等もあったりする。

その場合、どうしても、「人任せ」の状況が生じることがある。
責任の所在がはっきりしなかったり、
また、責任者がいるから、その人にやらせておけば良い(下手に口を出さない方がよい)、
というような感覚になるのか、
まったくその取り組みが動かなくなる(or活性化しない)ようなことも往々にしてある。
その場合、誰かが突破口を開き、あるいはきっかけを作らなければ、
前に進めることは出来ない。
きっかけが生じれば、そこへのアクセスが生じ、議論が生じ、
取り組みは活性化して、よりよい成果物が得られることもある。

その場合、突破口を開いたりきっかけを作ったりした人の提示したものは、
「たたき台」として、ひたすら叩かれることとなる。
ただ、叩かれることが多い「たたき台」のほうが、議論の活性化には繋がったりもする
(あまりにも叩かれ放題の内容では論外だが)。
つまり、「とにかく動かさないと」という思いから、「たたき台」を示すのである。

このような思い、またその思いでたたき台が示されるということは、いうまでもなく重要なことである。
時に、叩かれることが、自分の足りなさ、至らなさを示すことともなるし、
また、おいしいところをコメントしかしない人(叩かれる場所に決して入らない人)
に持ってかれることもあったりするが、
それでも、きっかけを提示すること自体、大変有意義なことである。

おそらく、有能・優秀であると自負している人には出来ないこと
(叩かれること自体が耐えられない、それを本能的に分かっているから、叩かれる場所には行かない)
なのだろうが、
自分は、外野として参加している場でなければ、
できるだけそのような役割を果たしてゆきたいと思っている。

何を書いているのか分からないような内容かもしれないが、
日常的に感じていること。