帝国対王国17-教皇翻心!対仏共同戦争へ
2019.09.07 05:59
このまま終わるかに見えたヴェネツィアだが、他国軍が乗りこんでくるとやはり抵抗が始まった。市民の中の聖マルコ派とよばれるヴェネツィア支持派が愛国心を駆り立てる。ヴェネツィア派絵画もこの高揚からできたようだ。1509年7月、パドヴァ市民が皇帝兵ランツクネヒトを追放し、ヴェネツィアへ復帰した。
皇帝マクシミリアンは、皇帝、フランス、スペイン軍を率いてパドヴァに向かったが、例によって皇帝軍は兵力不足、連合軍の足並は揃わず「夷狄を追い出せ」と士気あがるヴェネツィア増援軍が続々とパドヴァ入城。9月15日から始まった包囲戦は金を食うばかり。月末に包囲は解かれてしまった。
それからヴェネツィアは反撃するもヴェローナは落とせず、一進一退の膠着に陥った。そしてヴェネツィアは、教皇にロマーニャ地方を返し、賠償金を支払うことで1510年2月に、和平を締結した。
しかしフランスは攻撃を止めず前進、フランスの圧倒的な力を恐れた教皇は、なんとまあ聖職者のくせに約束を破りヴェネツィアの破門を取り消し。フランスに宣戦布告し、ヴェネツィアと共にフランス占領地に攻め込んだのである。だが、勝手知ったるルイ12世は、教皇軍のスイス兵を買収し、教皇を却ってピンチに追い込んだ。
下はカンブレー戦争勝利記念に18世紀に描いた「ヴェネツィアの勝利」兜をかぶって立っているのが当時の総領ロレダン