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“意味への意志”

2019.08.25 13:50



キャリアコンサルタントが国家資格になった理由の1つは、

企業内にキャリアコンサルタントを配置し、

1人でも多く意欲的に仕事にも人生にも取り組み、社会の一員として活躍する人を増やすと共に、メンタルヘルスの予防に繋がるような、キャリアカウンセリングをするためです。


〈キャリアコンサルタントの使命は、相談者のキャリア形成上の問題・課題の解決とキャリアの発達を支援し、もって組織及び社会の発展に寄与することである。

2016,04,01〉


国家資格キャリアコンサルタントの倫理綱領には、

生命の危険を察した緊急の場合以外は如何なる時もカウンセラーは守秘義務を守り

例え善意であっても、クライエントの相談内容を他者や上司、雇用主でさえ話してはならない、という内容の項目が記載されています。


また、キャリアコンサルタントは、企業内カウンセリングの他に、企業セミナーを開催したり、仕事のガイダンスをすることができますが、

全てどのカウンセルング理論を拠り所とし、どのような手法を用いるのかの根拠を明確に持つことが前提とされています。


私が12年関わってきたのは、アルバート・エリスのABC理論から発展した認知行動療法を主としてゲシュタルト療法等を包括的に取り入れた手法で、グループワーク、個人セッションを繰り返しながら

“自己観察・概念の発見“を方法として、行き先は自身の”生きる目的“に出会うことです。


グループワーク、個人セッションを繰り返しながら、それはたくさんの体験群と言葉と”感じてること“を扱います。

沢山の気付きを基に、自分自身に出逢い直し、そして本質に辿り着きます。

時間の経過と共に忘れて習慣化されている”中断の理由“に気付き、本来の目的に戻り自らエンパワメントしていくことにこの手法の醍醐味を感じます。


私は、このトレーニングを通じて私自身の”生きる目的“に出会いました。

見たくない自分を見ることから始まり”直面トレーニング“と呼んでいました。

他の方はそこまで苦しんではいないようでしたが、

私は自分を正当化するために、傷付かないように守るために、

べったり張り付けてきた鎧や武器を剥がすのに随分と苦痛を伴いました。

そしてある日、目の前に広がる世界が突然変わりました。 


”ああ、光が射すっていうのは、こういうことなのか“


真っ暗で出口の見えないトンネルをもうどれだけ進んだか分からないと思ってもまだ進むしか選択はない、もうこんな人生は嫌だ。


そうやって食い縛って這ってでも進むような体験を続けたある日突然、

あの先に小さく細く光が刺したように見えたのは、

『希望』でした。

生きる目的との出会いは希望となり、希望はエネルギーに変わり、

自分の体験に違いを作るためのチャレンジへと、

また立ち上がる勇気を与えました。


そうやって、自分が自分に出会い、応援し、勝たせていく体験を積み重ね、

『私には何もない』と言って泣いていた日から4年、『私にはビジョンがある!』と力強く立ち上がっていました。


28歳から12年、そのような場と機会を与えてくださった方々がいて、

その方々との出会いと日々は今も変わらず感謝でいっぱいです。

だから私は、私の”生きる目的“に従って今、まだチャレンジの途中です。

最期の時に”生まれてきてよかった“と思えたらこのチャレンジはきっとゴールテープを切ることでしょう。


さて、前置きが随分と長くなりましたが、

『意味への意志』

(参考引用:フランクル心理学入門、教育に生かすフランクル心理学)

この表現にとても心惹かれたのでご紹介します。

V.E.フランクルはナチス強制収容所という極限の状況を体験した心理学者であり、

「夜と霧」はあまりにも有名です。

フランクルは、フロイト、ユング、アドラーに次いで『第4の巨頭』と呼ばれる

精神科医、心理学者、ロゴセラピー創始者です。


キャリアコンサルタントが学ぶカウンセリング理論の1つでもあるロゴセラピーは、

実存分析と言います。


〈ロゴセラピーは、人間は如何なる状況でも価値を追求する自由と責任を持つ存在とし、人生に価値と目的を見出せない時に空虚感を経験し、欲求不満状態に陥るという考えのもとアプローチする技法である:引用〉


〜それでも生きることに意味があるのか〜

フランクルは人生を満たす『3つの価値』を提唱しました。

創造価値、体験価値、態度価値です。

生み出す喜び・仕事での価値、 人やコトやモノに関わり合う中で生まれる感情的体験価値、

“それでも生きることに意味はあるのか”

と問えるほど極限まで自分が追い込まれる状態や状況になった時にしかきっと知ることは出来ない究極の体験でしょうが、

死を目の前にしても尚、他者への思いやりの態度、

声もなく手も動かず、為すことができなくなることを知ったその時に

選択することが“他者への慈しみに満ちた態度”である時、

その人は3つ目の“態度的価値”を見出すことができるといいます。


「私たち一人ひとりは“為すべきこと“”充すべき意味”が与えられている。そしてそれと共に、 今・ここに定め置かれている。そしてその『何か』は

私たちのよって発見され実現されるのを『待っている』。私たちは、常にこの『何か』によって必要とされ、それを発見し実現するのを待たれている、そういう存在なのだ」

ヴィクトール・E・フランクル


皆さんは、今、何のために生きていますか?