欅坂46「サイレントマジョリティー」が10年に1度のポップソングである7つの理由
アイドルファン以外をも巻き込んだ脅威のデビュー曲
とにかくすごい。欅坂46の「サイレントマジョリティー」のMVが3月15日に公開されて以来、あまりの衝撃にぶっ飛ばされ、それ以降も飽きることなく300回以上は観ている。間違いなく今年もっとも聴いた曲となるだろう。そして恐ろしいのが、現時点でのYouTube再生回数は約300万回。300回も観ているのに1万分の1にしか満たないという事実。デビュー前のグループのMVが叩き出す再生回数としては異常としか言いようがない。
ひとこと、なぜこの曲がすごいのか。それは「すべてがすごい」ところにある。そのすごさが人を動かしている。競合となる同業アイドルが彼女たちの楽曲を褒め称え、クリエイターほかアイドルに興味のない層も動かしている。
すべてとは何か。「曲」「歌詞」「衣装」「振付」「アートワーク」「パフォーマンス」、そしてそれらをトータルでまとめあげた「MV」だ。
ダンスと歌を中心としたシンプルなMVに潜む衝撃
このMVを観て、筆者は真っ先にそのロケーションにぶっ飛ばされた。再開発まっただ中の渋谷駅周辺の工事現場。すぐ向こうに見える渋谷ヒカリエを目印に、渋谷を生活圏とする人間なら誰もが一瞬でピンと来る、そして「あの中でよく撮影できたな」と驚かされる撮影地だ。東京五輪に向け、刻一刻と進む工事。変わり行く渋谷、そして東京、日本。そうした時代の動きの中にある2016年という時代のドキュメントであり、14〜20歳という彼女たちがアイドルとしてデビューするたった一度の瞬間のドキュメントであるという強烈なステートメント。
アイドル文脈でいえば、渋谷センター街内にあるファッションブランド「Bershka」内で撮影することで、広く撮影許可を得ることなくセンター街をMVの世界観に落とし込んだ乃木坂46「夏のFREE&EASY」を彷彿とする手法でもあるが、本作の衝撃は間違いなくそれ以上だろう。
ジャンヌか独裁者か。両義性と矛盾の連続
そうしたロケーションの中、とにかく目に飛び込んでくるのがセンター平手友梨奈のキレのあるダンス、所作、動く髪、そして鋭い眼光。楽曲が彼女に乗り移っているかのようなその姿はあまりにもフォトジェニックで、優れた作画監督とアニメーターによるアニメ作品のようですらある。
そしてその平手のダンスに呼応するように動く、雄弁と両義性に満ちた他メンバーによるフォーメーションダンス。リリックが説くのは、自由、独立、夢、若者、そしてSEALDsや18歳の選挙権等の政治的モチーフを土台とした「行動することの意味」だが、本作がトータルで描くのは理想だけではない。
否応にも独裁者を連想させる身振り手振りを行う平手友梨奈と、それにあわせて他メンバーがマスゲーム的に行進するダンスは、ジャンヌ・ダルクのように先導する平手とそれに応え支えるように振る舞う勇壮なダンスと対になっている。先導者と立ち上がる民、独裁者と従う民衆、若者、大人…それらの両面が入れ替わり立ち代る。“自分で選べ、声を上げな変えればシステムに組み込まれる”というメッセージと同時に、1971年にザ・フーが「無情の世界」で描いた“どんな気高い革命もいつか陳腐化し、新たな支配者を生むだけ”だというシニシズムも感じさせる一筋縄ではいかない内容だ。
例えばそう、なぜ彼女たちの制服が軍服のような形状なのか考えてみてほしい。そして左側のスピーカーからほぼ4分で鳴るクラップ(手拍子)と、右側で先導しかき乱すように裏で鳴らされるクラップの対比とはなんなのか。歌詞、曲、衣装、振付、それらが2✕2✕2✕2…と幾重にも重なって生む両義性と矛盾の連続。それこそが本作の凄まじさの理由だ。
「大人たち」とは誰なのか
繰り返される革命と支配という矛盾。…だが「もしかしたら」と思わせる光がここにはある。二転三転を延々と繰り返す意味、視点。その螺旋を最後に射抜くセンター平手の14歳とは思えぬ存在感と決意の表情とパフォーマンスが、本作をその一歩先に進める重要なファクターだ。
「とはいえ『大人たちに支配されるな』というメッセージを歌うのが、大人たちに支配されたアイドルなのは滑稽じゃないか」なんて指摘は、制作側も承知のうえだろう。この両義性の連続にそれはあきらかだ。彼らはそんな指摘を軽々と乗り越えるすぐれた作品作りをした。そもそもアイドルがニセモノでシンガーソングライターがホンモノである根拠はどこにある? そもそも表現においては必ずしもオリジナル曲である必要もない。
「曲」「歌詞」「衣装」「振付」「MV」。彼ら大人たちはあらゆる制約の中、その制約を逆手に取り、ひとつのマイルストーンとなるであろう優れた作品を作り上げた。そして、彼女たち欅坂46は平手友梨奈の鮮烈なカリスマを中心に、大人たちの本気の仕事に応えるように、その先を行くパフォーマンスをした。まるで「エヴァンゲリオン」におけるヤシマ作戦のようじゃないか。
熱意と徹底したディレクションが生む「シンJ-POP」
実はこのMVが公開される前から、欅坂46のことは気になっていた。そのきっかけが「アートワーク」だ。アーティスト写真、そして全4パターンあるジャケット写真。それらが公開されたとき、その予想外の内容に驚かされた。はっきりと言えば、欅坂46とは乃木坂46を成功させたことで味をしめた二番煎じだと思っていたし、新人アイドルということで、ふんわりした世界観の毒にも薬にもならない曲をやるのだろうと見くびっていたのだ。
しかしこのアーティスト写真とジャケット写真は、そんな先入観にヒビを入れた。軍服のような制服に身を包み、カメラを睨むショートカットの少女、シャープで攻撃的なタイポグラフィー。一目見た瞬間に分かる渋谷川というロケーション。念の為に説明すると、渋谷川は間違っても足を踏み入れたくなどない汚れたドブ川だ。新人アイドルがそんなドブ川に立ち、カメラを睨む。軽い気持ちで提案もできなければ、実際に制作することなどできない気合の入ったクリエイションとしか言いようがない。
真っ先に思い浮かんだのは、押井守監督「機動警察パトレイバー the Movie」で描かれた変わり行く東京の描写(2では渋谷川がロケーションとして登場する)。そしてエヴァの庵野秀明監督による実写映画『ラブ&ポップ』(原作:村上龍)における、女子高生たちが渋谷川を歩くシーンだった。
そこで感じた違和感や驚きはこの「サイレントマジョリティー」のMVを観て確信に変わった。これは特撮やアニメといった日本の映像カルチャー、ボーカロイド以降の音楽、最盛期の先に到達したアイドル文化をすべてを集約した「J-POP」なのだ。
照沼健太(AMP)