「ジャガイモと世界史」⑧イギリス「フィッシュ&チップス」
ジャガイモが初めてイギリスに姿を現したのは16世紀末頃らしいが、「危険な植物中の危険な植物」として弾劾され、普及には時間がかかった。それでも1840年ごろまでにはイギリス人の食生活に定着。早くからジャガイモを食べ物として受け入れた隣国アイルランドの影響が大きかったようだ。しかし、イギリス本来の食べ物は、まず何と言っても肉であり、小麦で焼いたパンだった。だから、ジャガイモは「貧民の食べ物」、労働者階級の食べ物であり続ける。そして、1860年代にはジャガイモと魚が労働者階級の食べ物を象徴する存在となった。
ところで、イギリスでは18世紀後半から産業革命が進んでいた。その結果、生産活動の機械化・動力化が進展、工場制も普及。それにともない工業都市が成立し、資本家と工場労働者の階層も誕生。機械制工場のシステムを打ち立てたイギリスは「世界の工場」となり、イギリスをヴィクトリア朝の黄金時代に導く。しかし産業革命による農村社会から資本主義的工業社会への劇的変化のなかで、家庭も生活も崩壊し確かな就労も保証されない工場労働者は、貧困と犯罪の都市社会の中で悲惨な生活を強いられた。若きエンゲルスは21か月かけてロンドンはもとより、マンチェスター、リヴァプール、グラスゴーなどイギリス各地の街を歩き、貧民街に入り込み、人々の暮らしを見、聞く。それを子細に分析、検討し1845年、『イギリスにおける労働者階級の状態』を著わす。その中で、エンゲルスは産業革命下の労働者階級の食生活についてこう記述している。
「個々の労働者の日常の食事そのものは、当然のことながら賃金に応じてさまざまである。比較的賃金の高い労働者、とくに家族全員がいくらか稼ぐことのできる工場労働者は、そういう状態がつづくかぎり、よい食事をとっており、毎日肉を食べ、夕食にはベーコンとチーズを食べる。もっと稼ぎの少ない労働者は日曜日だけ、あるいは週に二、三回肉を食べ、その代わりにジャガイモとパンをたくさん食べる。もっと下のほうへおりていくと、動物性の食物はジャガイモの中に刻み込まれたわずかなベーコンだけになってしまう――さらに下へおりるとこれもなくなって、チーズとパンとオートミール(porridge)とジャガイモだけしかなく、最下層のアイルランド人まで来るとジャガイモだけの食事になる。」
やがてイギリスではジャガイモと魚のフライが労働者の食事の中心となる。有名な「フィッシュ&チップス」である。ヒラメやカレイ、タラ、小エビなどのフライをフライドポテト(「チップス」は、いわゆるポテトチップスのことではなく、フライドポテトのイギリスでの呼び名。イギリス英語でポテトチップスは一般にクリスプス「Crisps」)とともに、トマト・ケチャップやビネガーなどで味付けして食べる料理だ。普及したのは1860年代以降。20世紀初めのロンドンには1200軒ものフィッシュ&チップス店があったとされる。その背景には、産業革命による技術革新が存在していた。
産業革命前は新鮮な生魚を遠方に輸送する手段は存在していなかった。しかし、鉄道網の整備と蒸気船の登場により、ロンドンなどの大都市に迅速に鮮魚を輸送することが可能となる。また、生魚の保存に役立つ冷凍技術が発達し、1880年代に導入されたトロール漁業によって多量の魚を獲ることが可能となった。産業革命期の労働者は、安価ですぐに食べられ、さらに腹持ちの良い食事を求めており、イギリスの工業化の進行とともに魚のフライとチップスの組み合わせは、労働者の食事の主体として普及したのである。
やはり産業革命期(18世紀末~19世紀初め)に誕生し、普及したのがイングリッシュ・ブレックファスト。その中核にある「砂糖入り紅茶(ミルクティー)」も産業革命後のイギリスで、都市労働者の生活条件、工場経営者の要求に合致していた。きちんとした台所がなくても、お湯さえ沸かせれば、簡単に用意できるし、朝から十分なカロリーを補給し(砂糖)、ぱっちり目の醒めた状態(カフェインを含む紅茶)で働けるからだ。イギリスに多くある、フィッシュ&チップス専門店に入ると、フィッシュ&チップスに紅茶、しかもミルクティーを合わせているのをよく見かけるが、これぞ、ブリティッシュスタイルのようだ。まさにイギリス産業革命を支えた労働者の食べ物がイギリスの食文化を形作っている。
ロンドンのフィッシュ&チップス専門店
ロンドンのフィッシュ&チップス専門店
フィッシュ&チップスとミルクティー
フィッシュ&チップス
工場での昼食 1870年代 ティーポットを持参