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✾大正百合喫茶✾ パルテヱル女學校

パルテヱル物語〜鈴灯〜

2019.09.09 11:00

carpe dieme

その日の花を摘め(今この瞬間を楽しめ)


✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――



実験室のクセのある酸の香りがツンと鼻をつく。今は昼食前最後の授業。予鈴が鳴ったのに未だ喋り足りない様子の先生を急かすように、手元の時計を見て立ち上がった。


「先生、私急ぎの用事があるので失礼しますね」


何かを言いかけたように思えたが、級友にも先生にもこの昼休みだけは邪魔させない。

鈴灯は口元に笑みを携えて答えも聞かぬまま離れ棟の化学室を後にした。


「ねえ聞いて、さっき野ばら様が…」

「知ってる?野ばら様って実は…」


離れ棟から教室棟へ続く渡り廊下ではそこかしこで授業終わりの下級生が話している。

話題に上るは我らが上級生の中でも一線を画す雰囲気と美貌の持ち主、野ばら。

相変わらず彼女は人気者ね、と笑みを深める。横目に見えた校庭の大時計が昼休みが始まってから5分ほど過ぎていて、鈴灯は走らない程度に足を早めた。


「遅いわ、鈴灯。先に食べてしまおうかと思った。」


教室棟の裏側、人目につかない裏庭は彼女たちの逢瀬の場。敷物を広げ読書に勤しんでいた野ばらを見とめた鈴灯はついにぱっと駆け出した。


「これでも急いで来たのよ!あの化学教師ったら話が長くて仕方ないわ。」


桃色がかった薄い紫の紗綾柄の敷き布は薄手ではあるものの触り心地が良い。揃いでこしらえた木製の弁当箱の中身はどちらも野ばらの手作りだ。慌ただしい様子で隣に座った鈴灯の、乱れた髪を手で直す。薄っすらと笑みを浮かべながら弁当箱を手渡して、野ばらは一足先に蓋を開けた。


「まあ、あの先生ならやりかねないわ。それで五分の遅刻なら許してあげましょう。」


あまり機嫌を損ねていない様子の野ばらに鈴灯は内心安堵する。

怒った野ばらも可愛いけれど、短い昼休みなら笑顔を見ていたいわ。

2人の穏やかな空間を彩るように柔らかな風が頬をくすぐった。鈴灯は野ばらに倣って昼食に手をつける。


「今日の卵焼きは甘いわね!私、甘い卵焼きって初めてだわ!」

「少し前に、鈴灯が気になるって言っていたから。なんとなく覚えていたの。」


美味しそうに食べてくれて嬉しいわ、と野ばらは少し照れたようにはにかんだ。ふわりと花が綻ぶような笑みは普段あまり見かけないもの。これを自分だけが独占できているかと思うと鈴灯の胸の内に柔らかな愉悦がこみ上げた。


「ほんとう?うれしいわ!でも、野ばらが作る卵焼きならなんでも美味しい。いいえ、卵焼きだけじゃなくて!何を作っても野ばらの手料理というだけでどんなものにも勝るわ。」


風が吹き、自然の甘い香りが鼻をくすぐる。誇った顔で野ばらを見つめる鈴灯に、野ばらはより一層破顔した。鈴灯は、彼女だけは野ばらのことを理解してくれている。


「わたし、妹なんていらないわ。鈴灯がいれば、それでいいの。」


鈴灯より優先し、鈴灯より近しい存在になる妹。ブーケに目立つ花は一つだけでいいのなら、私はブーケになんかならない。鈴灯と共にいられれば、今は他に何もいらない。

鈴灯はその言葉にわずかに目を細めた後、ゆっくりと言葉を選ぶようにして口を開いた。


「私は、妹を見つけたわ。」


木が揺れ、遠くから生徒のざわめきが聞こえる。

昼休みが終わるまで、後15分ほどのことだった。