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E-MTB世界選手権

2019.09.10 09:06

電動アシスト自転車でレースして何になるん?って思われてる方もおられると思います。少なからずどうなるものかと僕も不安で全日本選手権で初代チャンピオンにならせて頂いたからにはそこからまた次のステップへという流れで世界選手権に参加させて頂きました。全日本選手権である程度の雰囲気はつかめたけれど、そこからまた世界のルールと潮流をまず知らないと今後の発展の方向が定まらないのでちょっと個人的にバタバタしていたタイミングだったけどスケジュールを詰め込んでカナダに行ってきました。史上初の電動アシスト付きマウンテンバイク世界選手権。まぁ脚漕ぎ?手漕ぎ?ボートのレースがあれば、エンジン付きのボートのレースもあるのと一緒ですね。

下記ブログ本文内にもありますが、今回のカナダ遠征はほんとにかなりストレスフルな遠征になりました。スケジュールを無理したせいもありますが、なんしか空輸でバイクの箱のみ遅延してバイクが届かない。届いたのもレース2時間前切ってから!なんじゃそりゃ!レースどうこうってかしっかり走るってか、そもそもレースに間に合わせろって話になってもう細かいことは考えずにスタートラインに自分のバイクで並ぶこと、安全にレースを終えること、そして、がんばる。の順番で僕の史上初のE-MTB世界選手権は終えました。また思い出しただけでなんだか疲れる遠征なんですが、この遠征を無駄にしないためにも今後またE-MTBがんばりますよ。

さて、東洋フレームブログより転載しますね。movie等は東洋フレームの方でしっかり見れるので、できれば東洋フレームブログからご覧ください~。


史上初開催となったE-MTB(電動自転車、マウンテンバイク)世界選手権に参戦すべく、カナダへ行ってきました。全日本選手権で挑戦したからこその世界選手権。竹之内悠としての挑戦はもちろんだけど、東洋フレームとしての挑戦という意味合いがすごく大きい、E-MTB世界選手権でした。

開催場所はカナダのモンサンタン。おそらく、僕が最後に出たマウンテンバイクの世界選手権もこのモンサンタンだったと思う。だから、またこういう形になったけど、世界への挑戦はまたこのモンサンタンから。僕はこのE-MTB遠征前にベルギー遠征があったので、この世界選手権に参加するためにはベルギー遠征直後、ギリギリの余裕がほぼない状態でのカナダ遠征への出発だった。それでも、今回は鬼頭メカニックが帯同してくれ、準備からして一人で行く遠征に比べ心強いものがあった。

遠征スケジュールはレース二日前の8月26日に会場入り、前日に試走、レース当日が28日、レース翌日は視察と世界選手権観戦、そして、30日に帰路へというスケジュールだった。かなり忙しない遠征だったが、史上初めてのE-MTB世界選手権への参加は大きな意義があった。

しかし、遠征は予定通りにはいかなかった。自転車の箱がカナダの目的地空港に届かなかった。目的地空港についてすぐ確認したところ、翌日(レース前日)の午前中には間違いなくホテルに届けるよとの返事をもらい、一安心。レース前日の試走には間に合いそうなので安堵した。

しかし、翌日の午前中になってもバイクが届かなかった。エアラインに確認しても所在が不明との返事。困ったので、チケットをとった旅行代理店のカナダ支店の方がとても良い方で僕に変わってエアライン会社へ僕の荷物の早期発見と迅速な配達を再度言付けてくれた。それでも他にやれることはないかと思い、エアライン会社の日本支店や旅行代理店の日本支店に連絡するも相手にされず、自分で解決しろとの姿勢だった。自力でどうにかするしかなかったので、エアライン会社へ何度も僕の自転車はどこだと問い合わせしたら、挙句の果てにしつこいと逆ギレされ、もう自分の自転車でのレース参戦は半ばあきらめた。

シマノカナダさんにお借りした試乗車

レース試走時間が近づき、どうすることもできないけれど、ランニングシューズはあったので、コースをランニングしてバイクが来たときに備えてコースを覚えようと覚悟した。けれど、僕が困っていることをシマノカナダの方に伝え、シマノのE-MTBの試乗車を貸してくれないかと交渉すると快くバイクを貸してくれた。自分のバイクがくるかどうかもわからない状態だったので、お借りしたバイクを100%自分のものにすることを意識した。シューズも手元になかったので、ランニングシューズのフラットペダルで真剣に試走を重ねた。レース周回数は4周だったが、試走で5周を走り込み、試乗車を意のままに扱える状態にまで煮詰めた。

コースは下りが3か所、登りが3か所。XCOのコースと被るのはXCOコース終盤のロックセクションと他一部のみで、ほぼE-MTB用にレイアウトされたコースだった。XCOのコースと走り比べることはできなかったけれど、コースの味付けは想像できた。

レース当日になってもバイクは届かず、UCIが定めたバイクチェック時間になっても自分のバイクがホテルに届かなかったので、自分のバイクでの参戦は諦めた。 本来、東洋フレームの新型E-MTBでこの世界選手権に挑戦するという目的も強かったため、バイクが届かないことが本当に残念だった。

しかし、レーススタート2時間前を切ってから、ホテルにバイクが届いた。鬼頭メカニックと予定通りシマノの試乗車でレースを行うのか、東洋フレームのE-MTBを走らすのか相談した。僕自身、正直なところ、前日の試走と全くスタイルの違うバイクで試走もせずにレースをぶっつけ本番で行うのは恐怖だった。バイクの挙動が読めないし、バイクのセッティングも攻めることができないからペースが下がるのは目に見えていた。しかし、バイクが届いたからには走らすしかないと二人で即決、すぐにバイクを組み立て、セットアップ、UCIにも頼み込んでバイクチェックをもう一度行ってもらい、なんとかスタートラインに並べた。

ウォーミングアップは早着替え競争。急いでスタートボックスへ。ご想像通り、全く余裕がなかった。急いでコールアップボックスへ。

コールアップは9番目。8番目までが1列目だったので少し悔しかった。スタートしてトップ10ぐらいで始めの登りを上り始めたが、1分ぐらいしてからリアのトラクションコントロールに苦戦し始め、大きく順位を落としてしまう。その後の下りセクションでも前日とのバイクの違いに身体が順応しきれず、順位を上げることはできなかった。

1周目を終えた時点で35位ほど。しかし、周回を重ねるごとに落ち着きを取り戻し、コースとバイクに順応していった。空気圧のセットアップを耐パンクよりに振ったので、その分トラクションコントロールに苦しんだ。下りではバイクが跳ねてしまい、バイクを地面に押さえつけるのに苦労した。

周回を重ねるごとに順位を上げ、最後は45人出走中、26位の9分46秒遅れでゴールした。

レースのスタートラインになんとか無事に立ち、レースはトラブルなく終えることができた。結果を狙うにはもちろん準備が足りなかったし、そもそもレース2時間前にバイクが届くなんて想像できなかった。色々とあったけれど、今年はまだ1年目。そしてまだ見ぬ新カテゴリーレースの華々しい史上初の第1回の世界選手権に参加できた。色んな意味で絶対に忘れられない世界選手権になったことは間違いない。懲りずに来年も挑戦したい。

シマノカナダのBenさん。何から何までありがとうございました。

今回の世界選手権ではシマノカナダさんに本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。そして、HISトロント支店さん、どうもありがとうございました。

下の映像はレースの全体の雰囲気がわかりやすくなってます。ゴール時は僕もチラッと映ります。ぜひご覧ください。