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富士の高嶺から見渡せば

中国とどう向き合うべきか⑧

2016.04.05 06:56

・遠藤誉「卡子(チャーズ)中国建国の残火」~封じられた中国建国史の闇~(朝日新聞出版2012)


・龍應台「台湾海峡1949」(原題「大江大海1949」)白水社2912

旧満州の首都長春(新京)をめぐる国民党と共産軍(八路軍)との攻防は、中共内戦の死命を決する戦闘となった。このとき10万の中共軍は、長春の街を二重の鉄条網で完全に封鎖し、1947年10月から1年にわたり、10万の国民党軍とともに一般市民を閉じ込めた。この「長春包囲戦」は、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦と比較されるほどの規模とも言われる。このとき、毛沢東は東北軍指揮官の林彪に対し「長春を死城たらしめよ」と命令。電気、水道、ガスの供給を切断し、飛行機による食料投下もできなくなった半年間は、完全な兵糧攻めとなった。

当時の長春市の人口は、周辺からの避難民を合わせて80万~120万人と推定されるが、包囲が解かれた時の市内の人口はわずか17万人。餓死者の数は、30万人(遠藤誉)とも80万人(龍應台)とも言われるが、誰も正確にはわからない。

遠藤誉氏は、長春で生まれ、7歳のとき長春包囲網から奇跡的に脱出した。そのときの体験を書いたのが、「卡子(チャーズ)」(出口を塞がれた関所という意味)。包囲戦のさなかの長春市内の状況や脱出の際、2重の鉄条網で挟まれた中間地帯でみた様子を次のように描写する。

「食料がなくなり野草や樹皮まで食い尽くされるとやがて人肉市場ができた。

鉄条網の周辺は、脱出を図って餓死した死体の山、まさに地獄図絵。死体の腹部がガスで膨れ、やがて爆発する音があちこちから聞こえた」

「台湾海峡1949」の著者・龍應台(りゅうおうだい)は、台湾の女性作家で文化部(省)の初代部長(大臣)を務めた知識人。自ら長春を訪れ長春包囲戦の生存者をインタビューしている。この本のなかで龍應台は以下のような疑問を投げかける。

「これほど大規模な戦争暴力でありながら、どうして長春包囲戦は南京大虐殺のように脚光を浴びないのか。学術研究や口述記録が残され、記念碑や記念館が建立され、追悼行事がなぜ行われないのか」。

長春包囲戦について黙して語らずで済ませようとする中国共産党政権は、龍應台の当然の疑問にどう答えるつもりなのか。