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一号館一○一教室

リチャード・ドイル絵『妖精の国で』

2019.09.11 08:31

ケルトのDNAがいまに伝える

天真爛漫な妖精たちの世界


112時限目◎本



堀間ロクなな


 10年前のこと、東京駅前の八重洲ブックセンターに足を踏み入たとたん、エントランスの壁面にずらりと掲げられた額縁の前で動けなくなってしまった。「ヨーロッパ版画展」と題した展示即売会で、ギュスターヴ・ドレやオーブリー・ビアズリーらのよく知られた作品も並ぶなか、わたしが目を釘づけにされたのは、森や野原で妖精たちが遊びたわむれる光景を描いたシリーズだ。



 売り場の女性の説明によると、これはリチャード・ドイルというイギリスの画家が描いて、当時の有名な木版刷師エドマンド・エヴァンズが1870年に制作した『In Fairy Land』という絵本の、貴重なオリジナルから挿画を切り出して額装したものだという。いっぺんに心和む、その不思議な魅力については言葉で表すより、こちらのサイトの画像を見ていただくほうが手っ取り早いだろう。



 あたかも予定調和のように気づいたときには、わたしは妖精たちが色とりどりの鳥の背中にまたがってはしゃいでいる絵と、赤い服装の女の子が2羽のふくろうを抱きしめている絵のふたつを指差していた。代金は合わせて5万円ほどだった。



 その後、古書店で『妖精の国で』というタイトルのちくま文庫を見かけ、「もしや」と確かめたところ、やはり『In Fairy Land』の翻訳だとわかって入手した。すべての挿画がカラーで再現され、本文のウィリアム・アリンガムの詩も日本語になっている。たとえば、ふくろうを抱いた女の子の絵に添えてはこんなふうに。



 うわさにたがわず お美しい?

 あんたまだ存じあげないんだね いいかい

 青だの金だの 白だのピンクだの

 そんなものであの妖しいお顔を描けますかって

 この世のいかなる美しさのきわみでも

 とてもとても あの方の足もとにも及びますまい



 訳者の矢川澄子の解説では、「原書はなにしろ縦39センチ×横28センチという大型で、ほんとの話このようなミニアチュール版におしこめてしまうのがもったいないほどの贅沢ぶりです」。ぜひ実見におよびたいと思いながら、日本なら明治3年に出版された稀覯書ににおいそれと巡り会えるはずもないと諦めていたところ、またも古本市であっさり見つけてしまった。原書自体ではないものの、ほるぷ出版がそれを忠実に翻刻したものが二束三文で売られていて、かくして、わたしはこの天真爛漫な妖精の世界の全容をわがものにすることができたのだった。



 リチャード・ドイルは1824年ロンドンに生まれ、若くして風刺画家・挿絵画家として脚光を浴び、おもに人気雑誌『パンチ』を舞台として健筆をふるったが、後半生はもっぱら妖精画家の仕事に専念したという。ヴィクトリア朝のイギリスでは、妖精のテーマがひときわ好まれたとはいえ、そうした商売上の理由よりも、ドイル家はもともとアイルランドにルーツがあり、そのDNAにはケルトに由来する自然崇拝が刷り込まれていたからかもしれない。そんなつもりで眺めると、かれの描く妖精は架空の存在ではなく、まさにいま目の前で生き生きと躍動しているではないか。



 のみならず、リチャードの甥にあたる医師コナン・ドイルは、やがて『シャーロック・ホームズ』で高名を馳せたのちも心霊研究に打ち込み、1920年代に妖精写真の真贋をめぐって大論争が湧き起こった「コティングリー妖精事件」では、執拗なまでに妖精の実在を主張したことはよく知られている。近代科学主義の時代ならではの名探偵の生みの親も、やはりケルトのDNAを色濃く受け継いでいたのだろう。



 リチャードの作品に初めて出会ったあの日、わが家にも妖精たちを迎え入れてからは、折に触れてかれらの賑やかにはしゃいだり、ひそやかに囁いたりする気配が伝わってくるのである……。