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- SORAIRO -

自己責任の行き着く先

2019.10.03 03:00
こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。


10月が始まりました。

今年の10月はただ月が切り替わったというだけでなく、消費税額が10%に増税されたことで、対応に追われた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

私が生まれた時にはなかった消費税もついに10%にまで増税され、かといって消費税増税の大義名分であった社会保障費はなぜか削られる一方で、生活が苦しくなるばかりと感じる方も少なくないと思います。


若い世代には、国は国民になにかをしてくれるものだという意識があまりないようで、災害が発生した時や老後の生活の備えも「自己責任」だと考える人が増えているようです。

「国」というシステムは、個人ではどうにもならない大きな事業を、税という形で預かった資金を使って、国民一人ひとりに代わって行うためにあります。

地を治め、水を治め、少しでも多くの人が生きやすく、生き延びやすい条件を整えるのが国の役割です。

国に徴収されることはあっても、国から与えられる体験や実感が少ないと、どんなことも国を当てにせず「自己責任」でどうにかしなければと思ってしまうのかもしれません。


実際に災害に遭ったり、日々の生活の中から「自己責任」で老後の生活の備えを蓄えようと思っても、個人でどうにかできる範囲にも限界があることに気づかれると思います。

すべてが「自己責任」に還元されるなら、真っ先に不要になるのが「国」ではないでしょうか。

自分で老後の資金を2000万円貯金しなければならないのであれば、国に年金を払うよりその分を自分で積み立てたいと思うのと同じように。


さまざまなところで少しずつ生活の負担が増え、自己責任論が蔓延すればするほど、生きることを苦しく感じる人は増えてしまいます。

国民を助けることが国の第一義。

それを忘れた国がどういう道をたどるのか、連綿とつむがれてきた歴史をふり返れば、行く末の予測は難しくはないでしょう。


耳触りのいい言葉で外側を取り繕えたとしても、実態が伴わなければ実は結びません。

自己責任を叫んで弱者を踏みつけた時、同時に自分の首にも縄をかけているのだと自戒を忘れないようにしたいものです。


あらあらかしこ