各教科教育において展開されたりする「工学的アプローチへの対抗としての羅生門的アプローチ」に対する違和感
注入主義的教育はまずい、時代にそぐわない、
とよく言われる。
実際私もそのとおりだと考えている。
しかし、その文脈で行われる工学的アプローチ批判には首をかしげることが多い。
「教科」というものを解体しないままでの、カウンターとしての羅生門的アプローチの推奨を目にすることが多いからだ。
羅生門的アプローチは、工学的アプローチだけでは見過ごされがちな教育の可能性をきちんと捉えられる重要な視点の1つである。
しかし、現行の学校教育のシステム上、教科教育において羅生門的アプローチのみに頼ることはどうしても難しい。
「教科」という枠組みがあるものについて学びの支援を行なっていく場合、
その学習の場や人を問わず、
自動的にある程度その枠組みに沿った学習が展開されることとなる。
教科の区分そのものの意図から免れることはできないからだ。
つまり、教科指導という行為のなかに工学的アプローチでいうところの目標(特殊目標)が自ずと含まれることとなる。
これは、工学的アプローチと羅生門的アプローチが「not A but B」のAとBとして扱われるべきものではなく、「not only A but also B」のAとBとして扱われるべきものであることを示している。
(教科の枠組み自体に拘らない総合の時間と枠組みのある教科での学習との違いがそのまま「工学的アプローチへの対抗としての羅生門的アプローチ」が有意味か無意味かの違いになっているとも言えよう。)
もう少し平易な言葉で言うなら、
少なくともあなたの職権の範囲での仕事をした上で、
それ以上の成果を目指していけたらいいね、
ということです。
これは勿論
民間での脱教科的な教育や、
子どもの自由な発想を積極的に受容すること等を否定するものではありません。
あと
ここまでミスリードを生みそうな文章を書いておいて何ですが、
アプローチで二分するのではなく、
うまく整合性を持たせた上で
よりよい学びを提供できると気持ちよいとも思っております。