20190913 おなじもの
私が最近ブログを書いていなかったのは、
仕事のせいでも、彼女にうつつをぬかしてたわけでも、自暴自棄になっていたわけでもなく、
単純にブログを書くやる気がなくなっていたからです。
そもそも彼女なんていません。
それはどう考えてもこのブログになんの意味も持てそうになく、
もう私が本気で大切に思う人に対しても逃げ続けて、
あんまり良いこともなくただただ日々が過ぎていくだけだったからです。
そこに何の綺麗事も、
いいわけもなく、
単純に怠けていたのが今の私です。
最近はタイに行ったり
ネットフリックスのストレンジャー・シングスにはまったり
クライミングのキッズクラスを再開したりしただけであって
これと言って大したことがありません。
昨日、大好きなクレイジージャーニーを見ようと録画もできる日本のテレビを付けたら
なぜか大好きなノーサイドゲームというテレビドラマが再放送していて
またベトナムの電波の悪さで見れないならクレーム入れて見せてもらおうと思ってました。
さっきまたクレイジージャーニーを見ようと録画もできる日本のテレビをつけたら
まだ直ってなかったので、もしやなにかあったのかなと思ってツイッターで調べたら
まさかのやらせ問題にやっと気づきました。
なんかとてもとても悲しくなりました。
そうです、私はこういうテレビとかバライティ番組でさえも
だいぶ真面目に見る人間なのです。
全てが点でできている。それがこの世界だということ。
自分が世界でたった一人で、
自分を作るすべてのものが点の集合体で
そこのエレベーターの部品も
うちの猫も
点の集合体でしか無いこと。
そしてその点は決して交わらないこと。
絶対に混ざっていないこと。
コーヒーに牛乳を入れて
かき混ぜたところで、色が変わって違うものになったと見せかけて
実は顕微鏡を覗くとそれはただよこにあるだけのもので
その点たちはほんとうの意味で混ざっていないこと。
愛する人とセックスをしたところで
結局くっついてるだけで、
決してひとつにならないこと。
目に見えるものすべては
点の集合体で、
その点は孤独を持っていて
孤独に囲まれて生きていること。
それを思い出しました。
僕は死ぬまで孤独で
点として生きていくことしかできないのです。
同じ日がないのと同じように
この世界は《おなじもの》がまったくないのです。
時間でさえも、一瞬一瞬は全て違う時間で、分で、秒で、
ああそうか
もうこれは大量生産されているものでさえも、全てが違うものなんだから
目の前がわちゃわちゃしてるって思ってるのは疲れてるからじゃなく、
力が抜けて本当のことが少し見えただけなのかもしれないんだな。
そう思いました。
ああ、うるさい。
うるさすぎる。なんてうるさい世界に生きているんだ。
似ていても、なにも同じではない。
こんなクソみたいな世界で、
この離婚して精神的になにも成長しないクソ野郎は
これからの人生をなにもプランも考えず
ただ目の前だけのことをやって過ごして
お金と生活に追われて死んでいくんだろうか。
お前がクソ野郎だっての知ったやつだけ
お前から去っていく。
お前がクソ野郎だって知らないそこの猫と
最近一緒にいてくれる友達は
まだお前がクソ野郎だって知らないだけです。
このうるさい点だらけの世界で
どんな点を打ち続けるのか
やがてその点は打てなくなり
必ず死が訪れること。
その死でさえ
点でしかないこと。
それをもっと感じて
大好きな点のために生きていけよ。
いや、まじで。
しんご